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Sexy Zoneの卒業によせて

なにか間違えた。という感覚がずっとあった。1月8日に中島健人のグループ脱退が発表されてから。
今まで一度も、マリウスの卒業の時にすらなかった「なにか間違えた」という感覚。それが大きな大きな質量を持って、この3か月弱、私の中にどんと居座っていた。ずっと思っていたのは、どこかでこの結末を変えられたんじゃないかということ。どの選択を間違えたからこうなってしまったんだろうと、ずっと思っていた。

3月31日。Sexy Zoneの最後のライブに、マリウスが登場した。第2の本編だとでもいうように、彼の誕生日を祝い、5人のSexy Zoneの門出を祝い、大好きな5人が、5人そろって喋って、笑って、歌っているのを見て、5人の歌う「Sexy Zone」をみて、高々と力強く、めいっぱい掲げられた勝利君の手のひらを見て、ようやく思った。やっぱり何も間違えなかったなって。

聖書にこんな一節がある。

「愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、不正を喜ばずに真理を喜びます。すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。愛は決して絶えることがありません。」

私はクリスチャンではない。ミッションの高校に通っていただけの一般人だけど、この一節は好きだ。
マリウスが戻って来れたのは、彼が過酷な旅程を組んでまで、この日のために来日してくれたのは、ひとえにみんなが、Sexy Zoneのメンバーが、スタッフが、私たちファンが、Sexy Zoneを愛してきたからだと思う。そうでなければ実現しなかった。あの日、最大限マリウスを尊重して彼を送り出したのは愛だったと思うし、その愛が巡り巡ってこうやって返ってきたのかなとも思う。だって芸能界を引退した人が公式のライブに出てくれるなんて。あれは、円満じゃなきゃ絶対にありえない構図だった。
だから今回ケンティを最大限尊重して送り出すという選択も、私は愛としたいと思った。それが巡り巡って遠い未来のどこかで、いつかなにかの形で帰ってくるかもしれない。押さえつけて残ってもらう可能性もきっとどこかにあったと思う。でも中島健人はものすごいパワーを持った人だ。あれほどのパワーを無理やり抑えつけたら、いずれどこかで歪みが生じていたような気も、よく考えれば、する。そうなって修復できないところまで関係が軋んでしまうくらいなら、あるいは中島健人という人を傷めてしまうくらいなら、いつかまた再結集できるかもね、なんて期待も繋げるくらい円満に、笑顔で、みんなでSexy Zoneを卒業するというのはあり得る未来の中で、最も良いものだったのかもしれない。
なんかようやくそう思えた。全部愛だったよね。愛だったんだよね。そんなSexy Zoneを私も愛してたよ。
最後の最後にそう思わせてくれたライブだった。なんて見事な幕引き。さすが過ぎるよSexy Zone。やっぱり、好きになってよかった。そう思わせてくれて本当にありがとう。

私は高校生の時にSexy Zoneを好きになって、大学生、新入社員の時代をSexy Zoneのファンとして過ごした。ファンとしても、人生のなかでも、たくさんのことを経験した。色んな時代を過ごした。その隣にいつもSexy Zoneがいた。たくさんの愛を受けて、幾度も励まされ、たくさん支えられた。届いた夢も、届かなかった夢もあるけれど。
同じ夢を見ていた。そう信じられる。それが今、なによりも誇らしい。
だから、ケンティの言葉を私が借りるなんて、本当におこがましいのだけど、どうか言わせてください。
あなたちを好きだったこと、めいっぱい、
全部青春でした。

ありがとうSexy Zone!!!!!

そして卒業おめでとう。
またどこかできっと笑顔の5人に会えますように。

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