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奇跡の退院

先月の中旬、脳梗塞で倒れた92歳の母が約3週間でめでたく退院となった。具合が悪くなるのは、決まって土日だったり、夜中から朝方だったり、急で突然なことが多い。
今回も金曜日までピンピンしていて、本人も食欲もあり、私に豆乳鍋まで作ってくれていて、翌日終日起き上がれないのがまるで嘘のようだった。
日曜の朝、また、起きようと頭を動かしただけで何も食べていないのに吐き気があり、身体の平衡感覚が無く動きが止まってしまう、本人は平気だと言い張るが、どうも怪しい普通じゃない、兄と私でなんとか説得して、私ひとり一緒に救急車に乗り込み病院へ、MRI後、脳梗塞と判明し即入院。
退院できたとしても、最長150日のリハビリ転院をしなければならないと初めから言われていた。
けれど母は倒れた日も意識ははっきりシャッキリしていたので、酸素マスクが取れ、病院食と1日1本の点滴となる頃からみるみる回復し、自分から電話まで掛けて来て兄と私を驚かせた。病院自体がコロナ第10波拡大感染予防のため、完全面会禁止になっていて、個室でも入院初日から一切会えていない状態で、私が届ける荷物の受け渡しも1階受付前で日替わり勤務の看護師を呼んでもらい、やり取りするというもどかしいものだった。
電話口の声だけだとなんら以前と変わらないようで、左の小脳部分の軽い出血だったらしく、薬のみで止血し腫れもすぐに引いたようだった。
転院先も病院側から紹介される所をこちらの条件とすり合わせ、連携担当のソーシャルワーカーからの連絡待ちで、そもそも関連リハビリ病院の空きがなければ決まらないわけで、ようやく退院日時・転院時間の調整や車椅子専用車手配、個室確定、必要準備品の確認などを終え、すべて決定して一安心と思いきや、母当人はもうすっかりもとに戻ったから退院して家に帰ると、転院などせず帰りたいと主治医に頼んだとまた電話があり、そんな患者や家族の希望や素人判断で退院を決められるわけがなしと半信半疑だったところ。

主治医から直々に電話があり「嬉しい驚きと言いますか、想像以上の回復で、ご本人も帰りたいとおっしゃってますし、もう、お年ですからね、転院でなく退院でいいんじゃないでしょうか」とお医者様も母のお願いにとうとう根負けしたのか優しい半笑い声だった。

それで、晴れて退院ということで、かねてから頼んでみたかった、和菓子屋さんの御赤飯、しかも福岡のみで入手できる『鈴懸』の「お手毬」を母への御祝(快気祝い・内祝い)として贈る好機と思い、“職業病”が発動し5日前から予約が必要なため、慌てて電話し、退院の翌日にはなんとか間に合った。しかし、この約ひと月バタバタ片付けや掃除や手配など、不慣れなことに張り切り過ぎ、また安心もしたせいか、その退院翌日に熱が出て下がらず、もともと平熱が低いため、2日ほど自分が寝込んでしまい、病み上がりの母に介抱してもらうという羽目になった。

今は母ともども、すっかり元気になって、また日常が戻って来た。早めの春の嵐がひとつ過ぎ去ったようだ。


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