センパイと一緒。~ホワイトデー編~

 いつものようにファミレスのバイトの帰り。
 僕の隣には先輩がいる。
 途中まで帰り道が一緒で、商店街の端っこにあるゲームセンターがお別れのマイルストーンだ。
 だから僕はこのゲーセンが憎かった。罪に問われないなら、とっくに火をつけているところだった。しかしあいにく日本の法律は野暮なので、僕は恨めしげににらむくらいしかできなかった。まったく、日本人は頭が固いなぁ。イタリアあたりだったら、口頭注意くらいで済んでるぞ、たぶん。
 とりあえず、こんな店で遊んでやるものか! と誓っている日本人の僕は、店には入らずに、店頭で立ち止まった。
「ん? どうしたの?」
 隣を歩いていた先輩も、僕に倣って足を止める。
「来週の火曜日、何の日か知ってます?」
「え? ええと、何の日だっけ?」
「3月14日。ホワイトデーですよ。てわけで、欲しいもの考えといてくださいね」
 え、遠藤くん? と戸惑う先輩を置いて、僕はさっさと歩き出す。うう、恥ずかしい。なんかやけに恥ずかしい。でもまあいい。今頃、先輩だって顔を赤くしてるだろう。だったら、おあいこだ。先輩とおあいこというのは、なかなか気分のいいものなのだ。


 僕と先輩の関係を語ろうと思ったら、それなりの時間がかかる。具体的には、原稿用紙100枚くらいかかる。でもまあ、簡単に言うとしたら「微妙」ってやつだ。
 もともとは、ただの先輩後輩だった。中学時代、部活が同じだったってくらいの関係。
 でも今は、もうちょっとややこしい。「好きです!」とか「ごめんなさい!」とかがあって、とりあえず現在のところ「お友達」である。まあ、嫌われなかっただけマシだろう。
 で、そういうのが去年の年末から今年の年始にかけてあって、今は3月。新しい関係が、ようやく落ち着いたってところだ。
 先月は、まだちょっとダメだった。お互い、いろいろ意識したりして、普段のことが普段どおりに出来ない感じだった。
 先輩がチョコレートをくれなかったのも、きっとそのあたりが関係してるんだと思う。
 2月14日。バレンタインデー。
 中学のときにはくれてたのだから、たぶん意識しすぎるあまりスルーしてごまかしたのだろう。先輩は、けっこうそういうところがある。
 つまりいろいろ纏めると、僕はバレンタインにチョコレートをもらってないのに、ホワイトデーにお返しをしようと考えてるのだった。
 次の日、先輩にそのあたりのことを言われて、僕は「予約ですよ」と答えた。来年のバレンタインに向けての予約。
 まあ、先輩とレンとかアイとか寄りの話をする口実としては、悪くないんじゃないかと思う。動機としては不純だけどね。

「ホワイトデー……ホワイト……白……」
 頭の中身が口からこぼれ落ちている。
 先輩は難しい顔で考え込んでいた。聞こえる内容から察するに、連想ゲームの真っ最中のようだ。僕のオーダーからはズレてる気がするけれど、ウェイトレスが先輩だったら文句を言う気にもならない。
 朝方のファミレス。お客がいないので、僕たちは優雅に控え室でジュースを飲んでいる。
 あらためて言うことでもないのだけど、なかなかに気楽なバイトだった。深夜は客が少ない。客がいなけりゃ休憩だ。そしてそれは必然的に、先輩との幸せなひとときに結びつくわけで、深夜最高! という僕の気持ちもわかってもらえようってもんだ。
 ひたすらぶつぶつ言ってた先輩は、いきなりふにゃっと顔を緩ませた。
「ああ……いいなぁ……」
「な、なんですか?」不穏なものを感じて、僕はたじろぐ。
「犬。白い犬。ふわふわっとしてるの。かわいいなぁ……」
 先輩は、とろんとした顔をしていた。紛争地域に送り込めば、即座に戦闘が終結するだろうってくらい幸せそうな顔だった。かわいい。
「……犬をくれと?」
「まさか。さすがにそれはねぇ……」
 その最後の「……」の意味を、ぜひ教えてほしい。
 犬なんて言われても、当たり前だが困る。頭の中で貯金通帳を広げてみたが、僕にはそもそも犬ってのがいくらくらいするもんなのかわからなかった。その辺を白い犬が歩いてないものかと見渡してみたが、普通、犬はファミレスの中を歩いていない。
「あの、なんか他にないですか?」
「そうだなぁ、うーん。……犬……犬……イヌ……」
 先輩、連想の起点が変わってますよ?
 あ、と先輩が思いついたように言った。
「そういえばさ、犬ってうれションするよね」
「は? なんですかそれ」
「知らない? 犬ってねぇ、ご主人が帰ってきたりしたら、うれしすぎておしっこ漏らしちゃうんだよ。うふふ」
「…………」
「あ! な、なにその顔? 嘘じゃないよ? ほんとだよ?」
 僕は、はあっとため息をついた。
「先輩……。嬉しすぎておしっこ漏らすって……」
「ほ、ほんとなんだって!」
「なんていうか……そもそも品がないですよ。ほっぺたが落ちるとかならまだしも……」
「う、嘘じゃないってば! ……ていうか、ほっぺたが落ちるのは嬉しいからじゃないよ。そりゃ、美味しいもの食べれたら嬉しいけどさ」
「あれも変な話ですよね。なんで美味しいからってほっぺたが落ちるんだろう。リスじゃあるまいし」
 先輩が唐突に「あ!」と声をあげた。
「な、なんですか?」
「リスもいいよねぇ」と幸せそうな顔。
 なんとも徒労感あふれる会話だった。そもそも会話が噛み合ってるかどうかさえわからない。
 まあこれも、いつものことだった。
 幸せというやつは、案外「いつものこと」の中にあるようだった。

 結局、なんかあんまし収穫がなかった。
 最後に「で、先輩はなにがほしいんですか?」と詰め寄ったのだけど「べつにいいよ。予約なんかしなくても、来年はちゃんとチョコレート用意しとくから」と笑顔で言われてしまった。
 確かに。ホワイトデーの話は、単なる口実に過ぎなかったのだし、目的は充分に達せられたとも言える。
 でも僕にだって、先輩に何かプレゼントしたいという気持ちくらいあるのだ。なんせ僕が今まで先輩にしたプレゼントといえば、シャーペンと絆創膏くらいしかない。もちろん中学時代の話だけど。
「…………」
 ふむ、と僕は思う。
 もしかしたら、それくらいのほうがいいのかもしれない。まあ、シャーペンはアレだけど、それくらい軽いもののほうが気軽にもらってくれるのかもしれない。
 僕はちょっと考える。もちろん仕事中だけれど、そんなのは些細な問題だ。ファミレスのいいところの一つは、作り手の意識が料理の出来につながらないってところなのだ。

 いつものようにファミレスのバイトの帰り。
 僕の隣には、先輩がいる。
 お別れのゲーセンが近づいてきて、僕はちょっぴり憂鬱だ。
 世の中には慣れないものがいくつかあって、つかの間の先輩との別れもそのひとつだ。明日になったらまた会える。そんなことはわかっている。わかっていたって、つらいものはつらい。
 でも今日はちょっと違うのだ。
 僕はゲーセンの前で足を止めた。
 先輩も僕に倣って立ち止まる。
「さて、先輩、今日が何の日かわかります?」
「え? ……ああ、ホワイトデー?」
「プレゼント、確か白い犬がいいんですよね?」
「え、本気?」
 それから先輩は、僕の指差す方向を見た。はっ、とか鼻で笑われたらどうしようとか思ったが、幸い先輩は、にやりって感じに笑ってくれた。
 白い犬のぬいぐるみ in クレーンゲーム。
「かわいいねぇ」
「番犬代わりにでもしてください」
「遠藤くんを見たら吼えるように教えとくね」
「…………」まあ、いいけどね。「ちなみに、今から獲ります」
 一拍、間をおいて、先輩は「ええ!?」と言った。
「安心してください。貯金、下ろしときましたから」
 そんな驚くことでもないのだ。
 プレゼントは、今から獲るのでなければ意味がない。なんだったら、いつまでも獲れなくたっていいくらいだ。
 バイト帰り、いつもより長く先輩と一緒に過ごしながら、僕はちょっとだけゲーセンのやつを見直してやった。

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