雲上都市の少女

 陽宿りの儀式が近付くと、今回はどの種を使うかという話し合いがもたれる。これまでの実績から優秀な種を選別し、偏り具合を確認し、因子の相性を考慮した上で最終的な案が出来る。あとはアレゥデォルェ様の承認が得られれば決定だ。
 私は見習いなので、話し合いに参加することはできない。雑用をしながら、ただ聞くだけだ。それでもレカ姉様の名前が出たことで、つい口を開きそうになってしまった。レカ姉様は私の大切な人だ。次の巫女の一人に選ばれて、今は陽籠りの儀式でお社に入っている。姉様と相性の良さそうな種を、私は知っていた。頭の良い人なので、種にもそういう素養を求めるのが良いと思うのだ。種の持ち主は最近この里に来たばかりだし、血が濃くなる心配もない。あの、と思い切って声を出したところで、神官長様に睨まれた。私は、ごめんなさいとうつむくしかなかった。

 私たちの里は、外の世界では雲上都市などと呼ばれているらしい。初めてそれを聞いたときは、そんな大げさなと笑ってしまった。世界で三番目に高いらしい山の上に今、私たちの里はある。頂上ではなく、上空だ。アレゥデォルェ様の雲に包まれた、こじんまりとした里だ。外から来た人は温暖な気候にまず驚く。それから咲き誇る草花、高所には生息できないはずの家畜たちに言葉を失う。すべてはアレゥデォルェ様の力によるものだけど、なんだか私まで偉くなったような気持ちになる。外の世界からでは想像も出来ないようなものを、私たちは手にしている。規模としてはまったく都市ではないけれど、豊かさでは負けてないのかもしれないと思う。
 話し合いの後片付けをした後、私は里の外れに向かった。種場と呼ばれる場所だ。ここでは男たちが助け合いながら生活をしている。先生、と呼びかけると、出入り口のすぐそばにある小屋から顔を出す人がいた。良かった、いた。まあ、ここ以外に男のいる場所なんてないのだけど。私は招きに従って素早く小屋に入る。先生は文字を記している途中だったようだ。
 私はここで、先生から外の世界の言葉と文字を習っている。特に文字。私たちの里には、この文字というものがない。声をそのまま形にする記号のようなもので、それさえあれば自分がその場にいなくても、気持ちや情報を他人に伝えることができるのだ。初めてその存在を知った時、絶対に身につけなければと直観した。私には夢があった。それを叶えるために必要だと思ったのだ。
 この里を出る。外の世界に行く。それが私の夢だった。
 種場の男たちは、神話の中の存在とは全然違う。皆が皆とろけたような表情でほとんど区別がつかない。アレゥデォルェ様の力で手や足が無かったりするが、違いはそれぐらいで、人というより家畜に近いように見える。でもその中で、先生だけは違った。目に知性が宿っていて対話が可能だった。外の世界を教えて欲しいという私のお願いに、先生は嫌な顔一つせず応えてくれた。それどころか、教えることに飢えていたかのように、むしろ先生の方が積極的なほどだった。
 ただ先生にも知らないことがあった。私たちの里のことだ。特に彼が興味を示したのが、この里に伝わる神話だった。アレゥデォルェ様が話してくれる昔話。
 かつて世界には女の人しかいなかった。けれどある日、どこからか男が湧いて出て来た。突然変異で生まれたのか、別の世界からやってきたのか。いずれにせよ男たちは、身体が大きく力が強く、何より恐ろしく凶暴だった。女の人たちは捕まったり追いやられたり、散り散りになってしまった。一番の問題は、子供を創る能力を半分奪われてしまったことだ。そのせいで女の人は男と交わらないと、種を繋いでいくことができなくなってしまった。この里に種場があるのも、それが理由だ。
 私たちの里は、男たちから逃れた先祖によって造られた。そのうちの一人がアレゥデォルェ様だった。アレゥデォルェ様は神と契約を結ぶことで、不思議な力を使えるようになった。すでに肉体は失って、今は精神だけの存在になっているが、ずっとこの里を護ってくれている。幼いころ、夢の中でアレゥデォルェ様に訊いたことがある。外の世界の女の人のことは護ってあげないの? アレゥデォルェ様は、ただ悲しそうに微笑むだけだった。
 私は、外の世界の女の人たちを助けたかった。今もなお彼女たちは、男たちによって酷い目に遭わされているかもしれない。里は平和で、私たちは恵まれている。私はこの里が大好きだ。でも自分だけが幸せで、それでいいのだろうか。私はすべての女の人たちに幸せになってほしいのだ。
 私の夢を、先生は馬鹿にしたりはしなかった。ただ拙い私たちの言葉で、叶えるのは難しいとだけ言った。この人もここに来る前、女の人を虐げていたのだろうか。そんなことないように思えるが、わからない。私にはまだ、わからないことのほうが多い。それでも私は、先生から勇気をもらった気がした。筆という道具を咥えて、板に必死で文字を記す先生を見ていると、がんばれば何でもできるという気がしてくる。私はレカ姉様が産む子供の種が、先生のものだったらいいのにと思う。きっと賢い娘になるだろう。この里を導いていってくれるような女の人になるだろう。

 授業が終わって、私は先生に礼を言う。彼が言うには、私は優秀な生徒らしいけど、それでもちゃんと言葉と文字が使えるようになるには時間がかかるだろう。だったら今は、出来ることからやっていくべきだ。私はお社に向かう。神官長に種のことを進言するのだ。怒られるかもしれないけど、私は大丈夫。がんばれば、きっとなんだってできるんだ。

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