新しいモノを作る

せっかくの連休だったのに、ついつい例年になくだらしのない毎日を過ごしてしまった。地震や日航機のこともあり、スマホにかじりついていた。リロードすると情報が増えて刺激される報酬系。もっとやりたいこと、あったんだけど……。

大人になったので、連休中は好きな時間に寝て好きな時間に起きても、誰にも叱られない。大人になるにつれて自由度が増していく。よく「子どもならではの自由な感性」だなんて言うけれど、暮らしぶりに関して言うなら、
子どものころなんてまったく自由じゃない。

詩人の最果タヒさんはこう書く。
〈子供が幼いからって自由気ままであるかといえばそうでもないんだろうな。子供の方がずっと周りの空気を読む必要性にかられている。だってかわいがってもらえなきゃ死ぬって常に追い詰められている立場じゃないですか。〉『恋できみが死なない理由』(最果タヒ/河出書房新社)

幼いころの私は、たしかに自由な発想をしていた。なぜか知らないけど、
歌がうまくもない自分のリサイタルを開催しようとしていたし(実現せず)、友だちを集めて親のビデオカメラを回し、テレビ番組収録のマネごとをしていた。他にも今では思いつかないものが多い。

しかし何をやっても完成度が低いのが、子どものころに作るものの常であった。今はアドビのソフトさえあればなんでもできるような気がしてくる。年々技術も上がり、現実社会に適応させる方法もわかってくる。

デザインの大学に通っていたときも自由ではあったが、頭が固く、よく「もっと学生らしいものを作ったほうが良いのでは?」と指摘されて悩んでいた。マジメなデザインが好きで、マジメなモノを作ると、最大限やりたいことをやっているにも関わらず「もっと好きにやって良いんだよ」とアドバイスされてしまうジレンマ。しかし今なら大真面目なデザインでバカをやることを考える。すべては表現が中途半端だったから、意図通りに解釈してもらえなかったのだ。その顛末も含めて学生らしいなと振り返る。

どんどん良いモノを作りたい。どんどん新しいモノを作りたい。どんどん楽しいことをしたい。そうだ、2024年の目標は、「新しいモノを作る」にしてみようか。誰もが思いつかなかった創作にチャンレジしてみたい。


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