#1 前髪をのばしても彼女にはなれないが
生まれてこの方、額を出す髪型にしたことが無かった。幼い頃から最近まで、私はすべての写真に、眉あたりでぴったりと切り揃えられた前髪で写っている。幼い私のぱっつん前髪はとても可愛らしい。しかしアラサーの、手入れの行き届いていないぱっつん前髪はなかなかに痛々しいものがある。これを「芋」というのだろう、と写真を見返しながら思う。
2024年2月、私は前髪を伸ばし、センター分けにしてみた。人生で初めて、額を出した。額に陽を当て始めてからも、何でもないような顔をして家族や友人に会ったりしているが、実はこれは私にとってはなかなかの一大事件である。自分の顔が好きになれずに隠していた、という側面もあったため、いまだに少し恥ずかしい。そして時々、洗面台の鏡に向かってほくそ笑んでいる。
2024年2月、櫻坂46のメンバー、小林由依がグループを卒業した。私は櫻坂46のファンである。もっと言えば櫻坂の前身、欅坂46だった頃からファンである。そしてその頃からずっと、小林由依が大好きである。
そんな彼女がおよそ8年半のアイドル活動を終了する。卒業コンサートは自宅で、配信で視聴させていただいた。良すぎて大泣きだった。なお語彙力は失っている。
卒業コンサートの彼女は本当に綺麗だった。凛としたまま、本当に大好きな姿のまま去っていってしまった。アイドル最後の姿はセンター分けゆるふわロングヘアだった。号泣で視界を霞ませながら、私も前髪を伸ばして分けようと思った。なぜそう思ったのかはよくわからない。憧れに近付きたい訳でもない。ただただ小林由依が綺麗だった。
という、意味は分からないがそのような感じで前髪を伸ばし始めて現在に至る。前髪はもうすっかり伸びて、顔の両サイドに垂れ下がっている。額はたっぷりと日光を浴びている。小林由依には一切なれない。鏡を見ると、ただ額を露出した「芋」がこちらを見ている。そんなものである。彼女が卒業してから半年以上が過ぎた。
関係があるのか、ないのか、しかし額を出し始めてから少し、視界はもちろん気持ちも明るくなったような気がしている。当時から今までの間に環境が大きく変わることがあったし、やりたいことが増えた。実は額の日当たりというのは大切なのかもしれない。関係ないような気もしている。
見た目の変化の良し悪しは正直よくわからない。前髪がどんな形をしていても私は私のままである。げんなりする。前髪がどうであれ、私はこのままげんなりしながら生きていくのである。一大決心のつもりであったが、結局げんなりしていることに対してもげんなりする。
しかし思いがけず良い効果はしっかりとあった。前髪が伸びては切り揃え、伸びては切り揃え、切りすぎるという煩わしさが無くなった。これはとても良いことだった。たぶん一番良いことだった。
それに加えて、額にニキビが出来にくくなった。この歳になってもできるのかよという感じだが、やはり私の額にとって、毛先の刺激というのはなかなかのものであったらしい。青春時代のニキビ跡はそのまま残ってしまっているが、新しく上書きされることは無くなった。
そして、げんなりはすれども、前髪を見ると思い出す。小林由依がきっかけなんだ、と勝手に思い出しては勝手にほくそ笑む。勝手に思い出してやるのだ。彼女のすばらしいパフォーマンスの数々を。そして彼女のおかげで、好きではない顔を丸出しにする勇気を出した私を。
こんな勝手な決意をされ、勝手に色々と書き連ねられて、彼女のような立場の人ってどう思うのだろう、と思うことがある。どうも思わないでいてほしい。
勝手にずっと好きでいて、実際に会いに行くことは無かった。これからもずっと好きでいてしまうと思う。与えてくれたものたちは、あまりにも大きすぎた。私は櫻坂46が大好きです。
前髪をありがとう。ずっと応援しています。