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向山穂典です。
アラサー東京近郊に住んでます。
(むこうやま みのり)

最終更新日から約1年近くがたっていました。
ここ一年は、まるで緊急事態宣言が
あったころのように自粛生活で在宅の多い日々でした。
週5日(1日4時間)で働いて、
週2は特に趣味もなく体を休ませるために
ベッドで横になっていました。

さて、ここで「障がい者雇用枠で働いてみて」という
タイトルでnoteを書いていきます。
私が社会に出た15年前は一般人でした。
あちこちと転職を繰り返した果てに
意を決してチャレンジした地方移住にも失敗。
自宅療養を余儀なくされ、ボロボロになっていました。


そんな心が折れていた私に
メンタルクリニックの主治医は
「障がい者雇用枠で働くこと」を勧められました。


私は10年間同じ職場で働いていたわけではなく、
障がい者雇用枠で約6社で働いてきました。
10年前、障がい者就労継続支援A型(以下作業所)から始まり、
その後大手企業の雇用枠を経験させていただきました。
今現在は中小企業で働いています。

作業所で過ごした4年は(2カ所)では
様々なハンデを抱える方々と一緒に
軽作業をしていました。
入所した当初は自分がどうしてここに
いるのかもわからずめそめそ泣いていました。
ついこの間まで、子どもたちの連絡帳を書いていた身が
自分の日報(どんな作業をして、成長しているか)を
書かれる側になるのです。

作業所に慣れてきたころ、
メンタルクリニックに受診すると
「もう雇用枠以外では働けない」と
ぼそっと言っていました。

作業所で経験する軽作業は退屈なものでも
ありましたが、日々接するメンバーが
入れ替わり立ち代わり、担当する職員さんも
バラエティーに富んでいていたため、
続けられたのだと思います。

特に2カ所目の作業所では
職員さんに頼りにされることも多々あり、
優越感にも浸っていました。


いよいよ、作業所を卒業し、
障がい者雇用枠で一般就労へ。
ご縁があったアパレルブランドにこぎつけました。
それも10年通院しているメンタルクリニックの
近くにあるショッピングモールです。
仕事内容は楽しかったのですが、
収入面の不安から次の会社へ移ることに決まりました。

次に勤めたのはアパレルの最大手の会社です。
面接を通過したのも奇跡的なできごとでした。
近所で通いやすく、私自身
中学生時代に職場体験にお世話になった場所でした。
(当時はまさか大人になって
障がい者雇用枠で戻ってくるとは
思ってもみませんでした。)
仕事内容は楽しかったものの、
体を酷使し、休職もしました。
結果、休職明け半年後に退職。


次に物流業界へ転身。
障がい者雇用枠だったので、
一般では求人を出していないマニアックな部門でした。
仕分けのミスが立て続き、迷惑をかけていたため
他の会社を探し、次が決まった時点で転職しました。
物流にいたのはわずか2ヵ月でした。

現在はスーパーのレジ部門にいます。
といってもレジは打たずにサービスカウンターで
雑用をしています。
淡々としている仕事内容ですが、
「いてもらうと助かる」と言ってもらえるので
それを励みに頑張っています。


このように約6社を渡り歩いて10年。
障がい者雇用枠。

今は落ち着いてnoteを書いていますが、
葛藤の日々でした。
「このままでいいのか」
「作業所に65歳までいるのか」


アパレルの仕事は楽しいけれど
「月収2万円のままじゃまずい」
近所で通いやすいけれど
「体が悲鳴をあげている」
「メンタルが破壊する」


物流の世界では
(その日その日の物量により)
「え!?早上がりとかあるの?」
「15時半~のシフトはきつい
しんどい」
「ミスが多くて怒れる毎日は苦しい」

↑こんな感じでした。


今の企業では人間関係にも恵まれ
体も心もなんとか維持できるレベルです。

これからも何が起こるかわかりませんが、
これまでの10年、
これからの10年を恐れずに
まい進していきたいです。


むこうやま みのり


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