見出し画像

死に方は選べない、生き方は選べる

父が急逝した。享年79歳。

遠方に住んでいるので時々電話で話すくらいだったけれど、このところ調子が悪いこともあっても元気だったので本当に突然のこと。

母曰く、近くのカフェで一緒に昼食を食べた後、買い物にいく母と別れていつも行っている図書館へ。そこのソファーでいびきをかきながら意識を失っているところを発見され、救急車が呼ばれたが心肺停止状態だったそうだ。
昼ごはんは完食、特に変わった様子もなかったそうだけど、つい数時間前までいっしょにいた母が駆けつけた時にはもう亡くなっていたとのことだった。

亡くなった時に父が持っていたバックには、書き込みが沢山入った第九の楽譜、スマートフォンの説明書、数冊の本が入っていた。

なんでも1週間後の第九のステージに向けて練習に励んでいたとのことだった。

スマートフォンを持っていたこと、母は知らなかったらしくブーブー言ってたけれど(笑)一カ月くらい前に電話で話をしていたときに、スマホにしたら入力が難しいと言っていた。

DropboxとEvernoteを使えるようになりたいけど、わけがわかりゃーせん。。。と言いながらも楽しそうだったな。。。
図書館で本を借りて読むつもりだったらしい。

返すつもりの本だったのか、借りるつもりの本だったのか?

葬儀の後に図書館を訪ねて、借りるつもりの本だったことがわかった。本を持っていたから身元がわかり、母に連絡することができたらしい。
結果的には間に合わなかったけれども、早く連絡が入ったのはこの本たちのおかげだ。

こんな本を借りていたこともわかった。

父にはオーストラリアに文通友達がいる。
もう20年くらい前だと思うけれど、英語はほとんどできない中ニュージーランドにハイキングに行き、そこで一緒になったオーストラリア人のご夫婦と仲良くなったそうだ。
その後も手紙を送りあったり、お互いに家を行き来したり。
いやー、英語できなくてもなんとかなるもんなんだなーと感心してたんだけれど、ぼちぼちと勉強もしていたらしい。

第九の本番のステージも、幹事をしていた趣味のハーモニカの忘年会も、スマホやDropboxを自由に使いこなすことも、道半ばで父は逝ってしまった。

でもきっと。

そりゃ最後までやりたかったが、運命ならしょうがないよのぉ。。。

そう言って苦笑いしている気がする。

ピンピンコロリで行きつけの図書館で亡くなる。
いつも何かしら新しいことに挑戦して、こつこつと、楽しそうに学んでいた父にお似合いの、なかなか素敵な人生幕引きだと思うのだ。
父の最期の瞬間に、父自身が選んだ沢山の希望があったことを誇らしく思う。

死に方は自分で選べない。
でもどう生きるかは自分で選ぶことができて、背中あわせの死にそれも映し出されるものだ、と父が教えてくれた。

お父さん
ありがとう。






サポートいただくととっても励みになります♡