別子銅山の登山観光のススメ?
愛媛県の新居浜には、旧別子銅山関連の観光スポットがたくさんあります。かつてのえらい人が住んだ建物など以外にも、採鉱関連設備跡や、鉱山集落の遺構などが残っていて、その多くは見学が可能です。旧鉱山や炭鉱跡が観光地になっているのはよくあることですが、これほど多くの遺構が残っていて、かつ安全に見学可能な形で整備されているのは稀な例だと思います。
今回は、私が別子銅山の中でもアクセスに難のある東平地区と旧別子地区を登山しつつ観光して思ったことを記すことにします。
別子銅山の遺構エリアについて
遺構が残っているエリアは大きく三か所に分かれています。
端出場地区
現在は「マイントピア別子」という道の駅としても整備されており、自動車やバスで気軽に訪問可能です。観光坑道までトロッコ電車で行けたり、旧水力発電所が見学できます。東平地区
別子銅山観光では最も人気があるエリアだと思います。自動車またはマイントピア別子からの観光バスツアーで訪問可能で、東洋のマチュピチュと呼ばれる美しい景色や、崩壊した索道基地跡が見学可能です。旧別子地区
山の中にあった鉱山集落の遺構がそのまま手付かずで残っています。接待館跡や醸造所跡、通洞や間符などが広大なエリアに分散しており、見どころが多いです。
産業遺構の観光に関する難しさ
実は、今年6月に別子銅山遺構の観光に行ったのですが、思ったようにスポットを巡ることができませんでした。それぞれの地区の問題点について、書いていきます。
道の駅が併設された端出場地区
三か所の遺構エリアでは、①端出場>②東平>③旧別子地区の順に訪問しやすいです。なかでも端出場は自動車でのアクセスも良好ですし、路線バスも一日7往復程度運行されていて気軽に行ける観光地だと思います。また、道の駅だけあってご飯を食べたり、トロッコ電車でよく整備された観光坑道を訪れることができたり、または砂金取り体験ができたりと、観光スポットとしてはよく整備されていると思います。
一方で、端出場は(旧水力発電所跡を除いて)かなり入念に人の手が入ってしまっていて、当時の雰囲気をそのまま感じるという観点からはイマイチだという欠点があります(家族連れで訪れるにはよいところです)。
狭い山道を運転するか、バスツアーでのみ訪問可能な東平地区
東平地区は公共交通機関によるアクセスは不可ですが、林道が通っているので自動車によるアクセスは可能です。しかし、この林道がとんでもなく細いのです。
ところどころにある待避所以外では、離合は困難です。私の感覚では、これだけ狭い道を運転するには、曲がりくねった狭い道をバックで数十メートル後ろの退避所まで脱輪せずにバックできるくらいの技量が必要だと思います。そして、運転が苦手かつ慣れないレンタカーの私はこのような技量がなく、車での訪問を断念しました。
そこで利用したのが、東平行の観光バスツアーです。
端出場のマイントピア別子からマイクロバスで東平まで連れて行ってくれて、しかもガイドさんが案内してくれるというものです。運転が苦手な私でも気軽に東平を訪問できるという点ではよいのですが、一部遺構(変電所跡など)は時間の関係で見学できません。また、集団行動なのでやむを得ないのですが、もっとじっくり見たいというような場所でも時間が限られていて、個人的には消化不良となってしまいました。
広報不足で情報入手が困難な旧別子地区
旧別子エリアについてはなぜか積極的に観光PRしていない?ようで、観光案内書においてあるパンフレットなどにもあまり掲載されていません。観光案内のサイトを見ても、別子銅山遺構の観光スポットとして端出場と東平のみを紹介しているものも多く、旧別子についてはその存在を認識していないと情報を得ることが困難だと思います。そのため、6月の旅行時には事前に十分な情報を得ることができず、旧別子エリアは訪問すらできませんでした。
東平と旧別子地区を訪問するための名案?
東平地区はともかくとしても、旧別子地区は山の中にあるので歩くしかありません。登山地図をみて登山口へのアクセスなどを調べていて気付いたことがあります。
旧別子地区を訪れるには、日浦登山口から登るのが一般的です。日浦登山口は新居浜から車で約1時間と距離があるのですが、ほとんどの区間で片側一車線のよく整備された道路であり、レンタカーさえ借りればそれほどアクセスに難があるわけでもありません。
そして、東平地区は旧別子地区から2~3kmくらいしか離れておらず、登山道もよく整備されている模様。しかも日浦登山口の標高835mに対して、東平地区の標高は759mとむしろわずかに下る方向で標高差もほとんどありません。暑い夏だと、多少標高が高い場所を歩くのは涼しくてむしろ楽そうでもあります。よって東平と旧別子の二つの地区を、歩いて一度にまわるのはそんなに大変じゃないのでは?と想到しました。
実際はそんなに甘いものではなかった
ということで、下界では最高温度35℃になろうかというある日、新居浜駅でレンタカーを借りてドライブすること1時間、日浦登山口にやってきました。
歩き始めて数分で思ったのは、なんだか上り坂が多い?ということなのですが、それでもまだまだ元気なうえに、歩き始めて30分もたたないうちに別子銅山の集落遺構が次々と現れたことで気分が盛り上がってきます。
旧醸造所では、「ヰゲタ正宗」というお酒が造られていたそうです。なお、「ヰゲタ」というのは別子銅山を保有していた住友のシンボルマークですね。
さらにずんずん上がっていきますと、第一通洞に到着します。ここまでで登山口から約1時間余り。開けた場所で気持ちがいいです。
明治19年に完成した水平坑道(第一通洞)の南側出口です。その後、坑道内に鉄道が走り、鉱山内の運輸の主役を担いました。
ところで、このあたりで心の中にもやのような疑問が生まれました。
登山口と目的地の間の標高差がほとんどないはずなのに、ここまでずっと上り坂なのはどういうことなのだろうか?
早々にネタばらしをしますと、日浦登山口から東平地区までには、標高1291mの銅山越と呼ばれる峠を越える必要があったのです。そもそも、第一通洞は険しい峠の両側を貫通させることで、人や物の輸送を円滑に行うためのものだったのです。
つまり、登山口から銅山越まで456m上ってそれから東平地区まで532m下り、さらには帰り道には同じだけ上り下りする必要があることになります。合計するとおおむね1000mくらいの上り下りとなり、それほど気楽な観光ではなさそうだということが判明しました。
しかも、普通の登山だと帰りは下るだけなので体力的には楽なのですが、今回の場合は東平から銅山越まで登る必要があり、ここで引き返すことができません。当初想定よりもずっとハードです。
ここまで来てしまったものは仕方がないので、なんとか東平まで歩きました。前回訪問時よりも天気も良く景色は最高です。観光バスツアーでは省略されてしまうお目当ての変電所跡等も無事見学することができました。ここまでで登山口から約3時間半といったところです。
あとはひたすら、もと来た道を帰るだけです。ここで、私の帰り道にスマートウォッチで計測した心拍数の推移をご覧ください。
よく、人間の最大心拍数(人間が最大限に発揮できる心拍数の上限)は(220-年齢)beat/mといわれます。グラフ見ると心拍数は最大で175に達しており、これは私の最大心拍数とほぼ同じところまできていることになります。
つまりは何を言いたいかというと、死ぬほどしんどかったということです。しかも帰り道足がつって、しばらくは普通に歩くことすら困難な状態になってしまいましたし…。このときは、もしかしたら登山口まで明るいうちに帰れないのではとちょっと不安になりました。
まとめ
日浦登山口から東平地区まで山の中を歩くことで、アクセス困難な別子銅山の遺構を一度に観光してしまおうという試みでしたが、なんとか成功したと思います。ほかの人にもおすすめできなくはないのですが、
合計標高差1000m、往復6~7時間の山道を歩く
疲れがたまった帰り道にも上り坂がある(むしろ帰りの上りのほうがつらい)
ことを覚悟できるという条件付きとなります。
登山道は基本的に整備されていて危ないところはないですし、林の中を進むので直射日光からさえぎられて下界よりは涼しいですし、歩きやすいのは間違いないです。
遺跡はどれも見ごたえがあり、説明の看板なども充実していて、観光スポットとしては面白いところです。
ただし、本当に体力は必要です。携帯電話も通じないところが多く、かつあまり人が通らないところなので、何か事故を起こしたら助けを求めるのも困難です(私が訪れた時は、土日にもかかわらず誰ともすれ違いませんでした)。
山歩きに慣れていて、銅山遺構に興味のある方はぜひ私と同じ苦しみを味わってみてください。
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