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おぼつかない

おぼつかない。

「足取りがおぼつかない」という表現がある。
足取りがフラフラとしていて、危なっかしい様子を表した言葉。大体赤子に使う言葉。

僕は赤子なので、例に漏れず足取りが非常におぼつかない。何も無いところでこけるし、右つま先で左かかとをアメリカンクラッカーみたいに打ち上げて、日本庭園くらい静かにつまずく。
侘びも寂びも無いが、バイト中にお客様へお探しの商品をご提供できなかった時のの詫びの態度は欠かさない。

レジ業務も非常におぼつかない。
小銭も商品もポロポロ落とすし、未だに接客の定型文を噛む。「またお越しくださいませ」が言えない。体感だと3回に1回は噛む。フィーバータイムに入っていると、連続で噛んでしまうことだって可能。
最近の発見。「またお越しくださいませ」と言おうと思っても、めちゃくちゃ噛んでしまって「また怒ってくださいませ」とドMメイドみたいになってしまうので、「股を濾(こ)しくださいませ」とえっちなドMメイドを意識して言うと噛まない。「またお」「こし」の2つに分けることを意識するのです。メイド長との約束です。

手先で行うことの全てがおぼつかない。
これを書きながらおにぎりを食べていると、もちろん米共がポロリポロリと落ちていく。
正直な話、ものを食べる時に食べカスなどを落とさないことは、僕にとって不可能に近い。僕自身は慣れっこなのでそれでいい(よくない)ものの、何よりも人とご飯を食べている時にそれが起こってしまうのがとてもしんどい。
場外へと滑落したおかずや米粒は、右手でヒョイと取って食べてしまいたいものだけど、友人なんかと一緒に食事をしていて、かつ“その瞬間”を目撃されていると、途端に空気の読み合いになる。
相手の目を見ると「コイツはそれをそのまま食べるのか?ばっちいヤツめ」とも「そのまま捨てるの!?もったいないねぇ」とも、どちらの目表情ともとれる目をしている。我々のその膠着した様子を、余った左手は固唾を飲んで見守っている。
そもそも食べカスを落とさなければいい話だが、やはり手先が常におぼつかない人間が食事をすると何かしらは落としてしまうし、そんなアホバカの手なんだからもちろん箸だって正しく持てやしない。

この気まずさを回避するために、僕はなるべく人とご飯に行かないようにしている。
最近はありがたいことに配信活動で知り合った方々が参加する立食パーティーのようなものにお呼ばれすることもあるが、立食パーティーなんてそんなん僕からしたら食べカスもご飯本体も落としたい放題になってしまうわけです。そしてついでに僕は足元もおぼつかない。料理を全てひっくり返してしまったら、今度はドジっ子メイドになってしまう。
だから、立食パーティーの時は迸る食欲をグッと抑え、借りぐらしのアリエッティくらいの食事で留めておく。
やはりそれでも何かしらをポロポロ落としてしまうものの、ありがたいことに僕は人とのコミュニケーションさえもおぼつかないので、誰とも話していないうちにササッと食事を始め、誰も見ていないうちにポロポロ飯をこぼし、誰も見ていないうちにあせあせそれを処理する。

こういう毎日が普通だったから、最近この“おぼつかなさ”の異常性を周りに指摘されてすごくビックリした。

スマホを触る手もおぼつかない。
動画編集をする手もおぼつかない。
探し物もおぼつかない。
人の気持ちを慮ることもおぼつかない。
予定に従って行動するのもおぼつかない。
フルグラにかける牛乳の量を調整するのもおぼつかない。

そう、毎日おぼつかない。
ただ、生活が、ひたすらにおぼつかない……。

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