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バイト先へ、毎日死にに行く。

個人経営のブティック的なお店を経営して、その店内でカワイイ曲ばっかりを流し続けていたい。服も何も詳しくないけど服を売りたい。

お客さんの出入りも多くなく、接客もたまにでいいし、お客さんがいない間はレジのところにある作業スペースでダラダラと片耳にイヤホンを付けながら動画編集作業をしたい。片耳に自分の声、片耳にUSEN『C48 Kawaii エレクトロ・ポップ』が流れ続ける空間を作っていたい。

ずっと赤字は嫌だけど、全然黒字じゃなくてもいい。
自分がしたいことを毎日やり続けて、それで生活が継続できているという事実を何よりの利益として日々を過ごしたい。


最近100均バイトでレジを打って接客をしていると、漠然と死が近づいてくるような感覚になる。
接客が嫌で、対人関係が辛くて希死念慮を感じているわけではなく、ただ漠然と死のことについて考えてしまう。

お客さんが来て、決められた接客をこなして、またお客さんが来て、決められた接客をこなして、今度は態度がすこぶる悪いお客さんも来るけど、また変わらず決められた接客をこなす。
こんな毎日を過ごしていると(何のためにこんなことをしているんだろう)と我に返るタイミングが来るのは必然なように思う。

「何のためにこんなことをしているのか」というと、もちろんお金のため生活のためである。好きで態度の悪いお客さんを接客している人間はいない。

お金のため……お金は何のために必要なのか?

お金を使って何かを成したいわけでもなく、お金を使って世界中を見てまわりたいわけでもない。小淵沢報瀬みたく、いつか南極に行って「ざまあみろ!!」と大きな声で叫んでみたい夢はあるけど、それは人生のサブクエストでしかなく、「ざまあみろ!!」フラグを立てないとRPG『人生』をクリアできないわけでもない。

僕はただ平穏な生活を続けていきたいわけでもない。
毎日には刺激が欲しいし、どうしても自分の好きなことをずっとやっていたい。死ぬまでそうして生きていたい。
その毎日を実現させるには多少のお金が必要だけど、そのお金を稼ぐために態度の悪いお客さんの接客をしている時間は、なんて意義の無い時間なんだろうと思う。

今、僕は『個人経営のブティック的なお店を経営して、その店内でカワイイ曲ばっかりを流し続け、その傍ら趣味兼仕事の動画を編集してゆっまり過ごす』ために意義の無い接客をしているわけではない。

ただ、毎日を生きるため、お金を稼ぐためだけに接客をしている。

本当は『個人経営(以下略)』のためにお金を稼ぎたいのに、どうしても人間として日々を過ごすためにはかかるお金がたくさんある。
日々をなんとか継続するために出勤をし、家に帰って睡眠をするために退勤をする。そしてまた日々をなんとか継続するために出勤をし、家に帰って睡眠をするために退勤をする。

毎日死へ近付くために接客をしているような気分になってくる。

自分のやりたいことだけをやって日々を継続していきたいというのはワガママなことかもしれない。けれど、きっとこれは誰しもが本来持っている想いで、世の中の大半の人間はこの想いを殺して殺して生きている。
僕はみんなが殺している気持ちをなぜだかずっと殺せずに、自分を構成するレイヤーの一番上にネオンをあしらったかのようにビカビカとしたまま貼っつけられているのです。

どうせ日々を過ごして、寿命が近付いて、死へと一歩一歩進んでいくのであれば、事実毎日死へ近付いているのだとしても、その歩みを実感できないような、バイトの休憩時間に狭い一畳しか無い空間で駄文を書き殴らないような、そんな日々を過ごしたいと思うのです。

もしも今、AI技術とメタバース技術が急速に発展して、パステルカラーの空間でケモ耳美少女と自由に話したり過ごしたりできるようになってしまえば、僕は間違いなくその空間の虜になって、廃人になるまでその場から離れようとしないでしょう。
そうならないように僕は、楽しくて幸せな空間で救いの無い人間を仮初の幸せへと導く、どちらかというとその空間を創る側の、つまり漠然と毎日“死”を感じるのではなく(自分を含めた)人間に“生”を与える存在になれるように頑張らんといけんね、という話です。

そういう話だったかな……。

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