店のマスター。

8月6日に江古田倶楽部のマスター出原義史さんが亡くなられた。

江古田倶楽部は、西武線で池袋から10分ほど。
江古田(えこだ)という私鉄のちいさなまちにある。
駅周辺は、こちゃこちゃとした商店街で
チェーン店もあるにはあるが
小上がりのある定食も出す大衆酒場のほうが
ばつぐんに存在感のあるまちだ。

そのごちゃごちゃとした一画に江古田倶楽部はあった。
地階へ潜るのではなく
外階段をとんとんとあがっていく2階にある。
女性は一人ではいかないようにとまことしやかに
語られたこともあるそうだが
男性であれ女性であれ
一見さん向きとは言えない愛想のない情景だ。

だが、いったんドアをあけると
いろんな人にとって特別な場所であろうことはすぐ分かる。
茶色っぽい店内に楽器やポスター、誰かが持ってきた小物が
所狭しと置いてある。

階段下の看板には
「Blues」
とそっけなく書いてある。
マスターは間違いなくブルースが好きだった。
だが、どうも他のブルースバー、音楽バーとは
空気が違う。

私は常連でもなく
たまにライブがあれば顔を出したくらいだが、
やってきた人は皆、自然に自分のお気に入りの椅子に腰をおろし、
手慣れた手つきで冷蔵庫から缶チューハイなどを
取り出す。
メニューにビール、焼酎、ウイスキーぐらいは
書いてあった気もするが
食べ物があるわけでなし
少なくともメニューを眺めて頭を悩ますような仕組みではなかった。

似ているとすれば、どこのまちにもある近所の飲み屋である。
うちの近くにも、木枠の引き戸に暖簾のかかった
名前は忘れたが漢字で二文字の飲み屋があり
禁酒法前は、時折ばか笑いが通りにも漏れていた。
このおじさんは家だと、こんな風に笑わないんじゃないかな。

居酒屋は居心地であり、居心地のよさが拠り所になる。

おそらく江古田倶楽部もまた、拠り所であり、居場所であったのだ。

「都内でやるところなくなっちゃったよ」
と、ある人がぽつんとつぶやいた。
そんなバカな。店など星の数ほどあるだろうと思うかもしれない。
でも、ここだからこそ、思いきり演奏できた人もいたのである。
この店だからこそ歌えた人もいたのである。

たとえは悪いが、近所の居酒屋で豪快に笑うおじさんは
どこの店でも同じように笑えるだろうか。

追悼する人たちの書き込みから
マスターにかけられたという言葉を拾ってみる。
「だいぶ安定してきたね」
「あんたイイねっ」
「店の楽器が、みんな喜んでる!」

深夜バスに乗るためギターを背負ったら
「おかえりになります」
とマスターが声をかけ
客に拍手で見送られたという人もいた。
そんな店、ほかになかったと。

実は演者にとって最高のお客さんは
その店のマスターなのかもしれない。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?