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岐阜大仏

9月のアーチストデート。
(アーチストデートとは。またいずれ書く。)

だいぶ時間が経ってしまったにもかかわらず、知見を得るような良いノートが書けそうにないので、あきらめて覚書ダイジェストでふりかえる。


9月某日

はじめてのアーチストデートに「岐阜大仏と岐阜公園周辺」を選んだ。

何十年とこのあたりに住み、何千回も通りかかっているのに、一度も、い ち ど も 岐阜大仏を見たことがなかったのだ。

これはアーチストデートで行くしかないと決めた。

岐阜公園の駐車場に車を停めて、徒歩で2〜3分。

綺麗に整備された歩道が見えてくる。

全国街路事業コンクール 会長賞

綺麗な水路と草と竹垣風。美しい。

さて、この塀の向こうがいよいよ、正法寺である、が。

(ボ…ボロイ。)

さっきの水路との落差が激しい。


正法寺入り口


正法寺基礎データ

正法寺(しょうぼうじ)は、岐阜県岐阜市大仏町にある黄檗宗の寺院。
山号は金凰山。萬福寺の末寺。

本尊の釈迦如来は、岐阜大仏として知られている。

黄檗宗の寺院の特徴であるが、建物、作法などは中国風であり、一般的な日本の寺院とは大きく異なる。

歴史

  • 1638年(天和3年)、広音和尚によって開かれる。

  • 1692年(元禄5年)、黄檗宗に改宗。千呆和尚により開山。建物が整えられる。

  • 1791年(寛政3年)頃、第11代推中和尚が大釈迦如来像の建立をはかり、大仏に使用する経本を集めだす。

  • 1832年(天保3年)、第12代肯宗和尚の手により、大釈迦如来像(岐阜大仏)が完成する。

wikipediaより



綺麗で新しげな説明看板

大仏殿は330年も前に建てられ、明治に大修理が行われたのち戦禍を潜り抜けて今日の姿に至るそうだ。

歴史の重みを見る目が未熟すぎた。

(その本殿を正面から撮るの忘れた・・・!)


境内には戦国時代の地蔵菩薩さまや、神仏混淆禁止令から逃れるために稲葉神社から移された多宝塔たるものが奉安されている。

が、挙動が定まらず写真は撮れていない。


いよいよ大仏殿内部へ

拝観料金は大人200円、小人100円。やっすい!
もう少し払ってもいいから、建物の修繕に当てて欲しい。


籠大仏附木造薬師如来坐像

かごだいぶつ つけたり もくぞう やくしにょらい ざぞう

概要

江戸時代後期に塑像漆箔で造られた、日本最大級の乾漆仏。
像高13.63m、顔の長さ3.63m、目の長さ0.66m、耳の長さ2.12m、口幅0.70m、鼻の高さ0.36m。
周囲6尺(約1.8m:直径約57cm)のイチョウの木を真柱として、木材で骨格を組み、竹材を編んで仏像の形を形成する。
この竹材の上に粘土を塗り、一切経、阿弥陀経、法華経、観音経等の経典が書かれた美濃和紙を張り付けて漆を塗り、金箔を張っている。

経典は当時の住職が読経し、一枚一枚貼られている。籠を編むように造られたことから、別名を「籠大仏(かごだいぶつ)」という。岐阜大仏に使われた経典は四万巻に上るとされる。

wikipediaより

籠大仏附木造薬師如来坐像



大仏の周りには何百体もの像が。数々の震災、戦禍を乗り越えてきた。



瓦の修繕費を募っていたので、少し寄付させていただいた。
また、時を置いて参拝したい。


この後は、岐阜公園、信長の居城跡、公園内のでんがく処「むらせ」で昼食をいただき、加藤英三・東一記念美術館に行き、有意義な1日を過ごせた。


9月のアーチストデートでした。

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