雲の上の放送局「NHK檮原放送局」(3)当時のNHKの体制 その1

 檮原放送局が独自番組「山びこ通信」を放送していた当時、NHKの組織体制はどうなっていたのか。当時のNHK年鑑から探る。

 1955年7月10日現在の「NHK業務組織一覧表」によると、本部直轄の関東甲信越の放送局と、大阪・名古屋・広島・熊本・仙台・札幌・松山の各中央放送局の傘下に、各都道府県の放送局が存在する。ここまでは熊本を除き現在と大差は無いが、その中央放送局以外の放送局は第1種から第4種に分類されている。それぞれの種別の放送局を列記する。

【第1種】
長野・新潟・甲府・京都・金沢・静岡・福井・富山・甲府・京都・金沢・静岡・福井・富山・岡山・松江・鳥取・防府・福岡・長崎・鹿児島・宮崎・大分・佐賀・秋田・山形・盛岡・福島・青森・函館・旭川・帯広・釧路・北見・室蘭・高知・徳島・高松

【第2種】
横浜・前橋・水戸・千葉・宇都宮・浦和・神戸・和歌山・奈良・大津・津・岐阜・小樽・岩見沢

【第3種】
松本・浜松・尾道・小倉・鶴岡・郡山・弘前

【第4種】
飯田・伊那・小諸・岡谷諏訪・木曽福島・高田・福知山・舞鶴・姫路・豊岡・新宮・彦根・豊橋・敦賀・小浜・上野・尾鷲・高山・庄原・津山・浜田・益田・津和野・米子・萩・人吉・佐世保・延岡・佐伯・気仙沼・大舘・横手・米沢・新庄・宮古・釜石・平・若松・八戸・江差・留萌・稚内・名寄・宇和島・新居浜・今治・八幡浜・中村・檮原

 第1種は、後に山口に移転した防府を除き現存している。北海道内を除き都道府県庁所在地にある、各都道府県の拠点となる放送局である。
 第2種は小樽・岩見沢を除き現存し、東京・大阪・愛知の近隣県に存在する放送局である。小樽・岩見沢は後年まで「電波を持たない放送局」として存在し、報道専門の支局的存在であったが、後に報道室となった。
 第3種は現在北九州放送局となっている小倉を除き、元・放送局である「支局」として存在している。尾道は福山に移転している。近年は局舎老朽化等に伴いビルテナントに移転している所も有るが、基本的に独立した放送会館を持った、元・放送局であった所である。
 第4種は姫路・豊橋・高山・米子・佐世保・八戸は独立した放送会館を持つ(持っていた)元・放送局の支局として現存する。それ以外は報道専門の支局(通信室)として現存する都市もあるが、放送会館は持たず、中継局として存在している。

 また、当時の各種放送局の定義としてこのように記載されている。
 第1種放送局=総務部・放送部・技術部の3部を置く。ただし、帯広・北見・室蘭の各放送局は放送部・技術部の2部を置く。なお、福岡放送局に限り放送部に放送課および報道課を、また新潟・金沢・松江・福岡・鹿児島・北見の各放送局に限り、技術部の下に放送所を置く。
 第2種放送局=部を置かない。ただし、横浜・神戸の両放送局に限り総務部・事業部の2部を置く。
 第3種放送局=放送部・技術部の2部を置く。
 第4種放送局=部を置かない。

 第4種放送局はその後、放送網拡充に伴い増加していく。1959年9月30日現在の業務組織一覧表によると、4年の間に下記の第4種放送局が新設されている。
富士吉田・田辺・七尾・中津川・新見・倉吉・都城・小林・日南・唐津・大船渡・根室・中標津・城辺・池田・観音寺

 また、豊橋・米子・下関(1956年開設)・佐世保・平・八戸の各放送局は第4種放送局から第3種放送局へ昇格している。後に支局となり現存する放送局ばかりである。

 そして、1960年11月1日現在の業務組織一覧表では、大きな変化が起きている。第4種放送局より下の分類として、中継放送局という分類が出来、下記の放送局が第4種放送局から中継放送局に変更、もしくは中継放送局として新設された(※が新設)。
小諸・※上田・※伊那谷・岡谷諏訪・木曽福島・富士吉田・豊岡・田辺・彦根・七尾・敦賀・小浜・上野・尾鷲 ・中津川・庄原・津山・新見・益田・津和野・倉吉・※阿久根・都城・小林・日南・佐伯・※日田・唐津・横手・米沢・新庄・宮古・大船渡・江差・留萌・中標津・今治・八幡浜・檮原・池田・観音寺

 前回紹介した、1960.9.20発行「檮原村広報」第31号において、『NHKにおいては各中央局の出力増大に伴って、地方中継局の廃止統合が行われている』との記述があった。ここでの各中央局とは「中央放送局」だけの意味では無く、各県庁所在地にある放送局を指すと考えられる。現に檮原放送局もこの時期にアンテナ改築・無人化が行われた。また1960年3月に中村放送局の第1放送も出力が500Wから1kWに増強された。これ以外に、徳島県では1959年12月、牟岐にラジオ中継放送所を開設したが、これはNHK初となる「100Wの出力を持つ完全無人局」であった。これらの事から、1959~1960年頃にかけて第4種放送局の無人化・中継放送局化が各地で行われたと推測される。
 また、前記した第4種放送局の中で「村」に存在するのは、檮原だけである。NHKの放送局(中継局では無く放送局)が村に置かれたのは、これ以外には沖縄放送局(島尻郡豊見城村、日本復帰の1972年から2002年の「市」への変更まで)だけである。やはり檮原放送局は相当先進的な存在であったと言えよう。

 これら当時の第4種放送局では、檮原放送局同様の独自番組放送が行われていたのか。それについては別途記述する予定。

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