西荻窪 - 沼落ちする街

離れられなくなる人、多数

 西荻窪に住み始めて12年、この中で3回の引っ越しをしている。この街に住んでいる人たちには少なからず見られる行動で、他の街に出るという選択肢がほぼないのだ。不動産屋の人も、この界隈に住んでいる人はこの街の中でしか引っ越さないと言い、他に移ってもまた戻ってくる人もかなりいるらしい。
 
 ここに来る前は、西武新宿線沿いに住んでいたのだが、自転車で吉祥寺に行く途中、そういえばこの西荻窪って街は何があるんだろう?とふと立ち寄った時、なんなんだろう、このゆったりした空気流れは、とある種の衝撃すら感じた。その瞬間から虜になり、間もなくこの街に引っ越してきた。
 
 荻窪と吉祥寺、郊外の便利な街2つに挟まれたこの街には、流行に乗ろうと頑張った気負いは感じられない。独特の時間が流れる文化的要素が根付いた街なのだ。

ニシオギに感じるパリ的要素

  個人的には、ここはパリのモンマルトルだと思っている。パリに行くとその華やかさに魅了されながらも、逆にそのきらびやかな街並みに疲れを感じることもある。そんな時にモンマルトルに行く。寺院がそびえ立ち、アーティストたちが絵を描いている丘には連日多くの観光客が押し寄せるが、1本道を外れれば個人経営の小さなお店が並び、近所の人が寄りあうバーがあり、静かな住宅地が拡がる。きらびやかさからは一線を引き、古き良き時代のパリがそのままが残った「モンマルトル村」の庶民的な雰囲気と空気の柔らかさが、旅の緊張感をほぐしてくれるのだ。
 
 ニシオギの略称で、住民たちには深く愛されているこの街には本屋、雑貨屋、パン屋、お肉屋、こじんまりした居酒屋やバルなど、小さなお店が立ち並んでいる。かと思えば、駅を降りてすぐのところには、東南アジアのどこかに紛れ込んだかのような雑多なエリアも混在する。ここではオヤジどもが昼から飲んだくれる光景がなんとも微笑ましい。
 都会の喧騒から離れたモンマルトルで感じた同じノスタルジック感溢れる空気が、ニシオギには流れている。そしてこの街も「西荻村」とよく呼ばれているのである。

ニシオギコミュニティ

 個人商店の多さからお店通しのつながりとなり、そこで生まれるたくさんのコミュニティがある。この街で飲んでいると「あのお店きっと好きだと思うから今度行ってみて」と、お店の人が他店を教えてくれることも。「この方はあそこのバーの方よ」と言って紹介されることも珍しくなく、お店同士で行き交い、自店の客を縛るどころか他のお店を積極的に紹介し合う、そんなアットホームな関係が多く見られる。

 お客さん同士の会話でも、住んでいるところは南か北か、よく行くお店はどこだ、新しくできたお店を知っているか、じゃあ今度一緒に行こう、そんな会話がよく生まれる。西荻住民というつながりだけで盛りあがり、近所付き合いも始まっていく。

 ニシオギでは女性一人飲みもよく見られる光景だ。多くのお店でおひとり様限定メニュー、ハーフサイズでの提供があり、お店側も暖かく迎え入れてくれるので、気負うことなく飲み歩ける。仕事に疲れ、家に帰る前に一息、たわいもない会話で気持ちの切り替えができる。そんな場所があるのは、働く女性にとって間違いなくありがたい存在となっている。
 

大手チェーン店が流行らない?

 チェーン展開しているお店が極端に少ないのもおもしろい特徴だ。地元のお店の人気が根強く、チェーン店はオープンしてもすぐになくなってしまうとも言われている。
 今や都内のどこにでもあるスタバやタリーズはニシオギに上陸する気配すらなく、その代わりに時代の流れに惑わされることなく何十年と続く老舗喫茶店が駅周辺に何軒も店を構え、週末ともなると満席状態だ。
 
 どんなに疲れて帰ってきても「西荻窪」という字面を見るだけでほっと安心できる、ここはそんな街だ。今日はどこに飲みに行こうか、週末のランチはどうしようか、どこでお茶をしようか、そうやってこの街でゆっくり過ごせる時間がなんとも贅沢なのである。

愛すべきゆるゆるの空気 

 不用意な再開発の話も聞かれるが、もちろんニシオギ住民たちは大反対。広い道路も今どきの商業施設も、誰も望んでいない。それよりも、若干の不便さと緩い空気をまとう今のままの街を、住民全体が支持している。
 
 「西荻村」は、ここに住む人たちの心の拠り所そのものなのだ。


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