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異邦人一家、弥次喜多旅行 その4 中津川、馬籠宿

12月26日。名古屋経由で中津川駅に到着。出身地の島田の駅を彷彿させる地味な駅で、一瞬降りる場所を間違えたかと思い引き返しそうになった。目的の馬籠宿まであと少し。過去2年、穴が開く程Youtubeで見まくった中山道。とうとう古代の路に漂うロマンをシャワーのように浴びるためここまで来た。家族を連れて。

まず、ずるをして中津川駅からタクシーを拾う。これから中山道を3時間以上歩くつもりの私は、ウキウキと運転手さんに「馬籠宿お願いします。」と告げる。「もしかして、これから歩くんですか?」と、訝しげな運転手さん。「そーなんですよ。楽しみなんですよ。オッホッホ。」と明るく答えると「ちょっともう遅いんじゃない?暗くなっちゃうよ。普通、みんな朝早くから歩くんだよねー。」と言われた。

ガッチョーンが出そう。

タクシーを降りると、ふわーっと閑散とした空気が漂う宿場街の入り口。まだ2時だというのに、インフォメーションの窓口のシャッターがしっかり閉まっていた。冬の細長い日差しが「ホレー、もう直ぐ日が暮れるぞー。」と言わんばかりに美しい石畳をぼんやり照らしていた。

初めて見る江戸時代の宿場町をキョロキョロと見回す夫と娘を促して「さあ、歩きましょう。」と坂道を指差すと「本当に歩くの?」と娘。「絶対無理。直ぐ日が暮れる。」と夫。というわけで2年も心に描いていた馬籠宿から妻籠宿の夢の旅路は、儚くも幻となって遠ざかった。「そんなに憧れてたんだったらもっと朝早く起きろよな。ったく。」と自分に腹を立てる。

馬籠宿の夕焼け

それでもせめて馬籠宿を満喫しようと坂道を登ると、少しずつ他の観光客とすれ違い始めた。九割型外国人だが、私たちも外国人だから文句は言えない。てなわけで、私たちは外国人らしく饅頭を一つだけ買ってみたり、どこでもあるような工芸品をゆっくり手に取って観察してみたり、やたらと恵那山がでかく見えるカフェで抹茶を飲んだり、展望台でいきなり中国人に声をかけられたりしているうちに、宿場全体が真っ赤な夕陽に包まれた。水車も屋根も、どこもかしこも斜陽にかざされた景色は、まさに江戸時代にタイムトリップしたかのようだった。

いつか必ず歩いてみせるぞ、中山道。

妻籠宿へ続く中山道

そして中津川駅に近いホテルに向かう。翌日は金沢に向かう予定なので、中山道を歩く旅人らしく、一晩凌げれば良いようなホテルを予約したつもりが、なんと、予想以外に素晴らしいホテルでびっくり。近代的なコンクリートの建物の玄関付近はモダンジャズが流れていた。

ここで何故モダンジャズか?昔、村上龍だったかな、が「ニューヨークの屋台でおでんを食べながらジャズを聞くのが気持ちいいんだよね。」とか言って酒を飲んでる気色悪いCMがあったのを思い出した。モダンジャズという言葉はもう死語だろうな。

しかしこのホテル、全てに的を得ている。近代的な大浴場、気の利いたアメニティ、近所の主婦たちが作る冗談みたいに美味しい食事ー素晴らしいリソース利用だね。繰り返すようで悪いが、、、日本って凄い。イギリスでこの値段のホテルに泊まったら、カスカスのサンドイッチか何か出されて、やる気のないスタッフに鍵を放り投げられ(大袈裟か)、カビ臭いシャワーを浴びてふて寝して、次の朝、出来るだけ早く脱出をはかるところだろう。

翌日27日は元気に早起き。特急しなの号で金沢に直行。一度、内陸を走る列車に乗って富士山の裏側より先へ行ってみたかった。ちなみに静岡県人は自分たちから見える富士山側が表側だと信じている。頂上は静岡県のものか山梨県のものかで揉めたりする。ロシアとウクライナの戦争はそうやって始まったのだろうか。戦争はやめてくれ。

山と川の間をどんどん進む列車の窓から見える景色は、ガイドブックで煽られかなり期待していたが、思ったほど壮観とは言えなかった。が、今まで見たことのある山の景色とはちょっと違う。日本海へのイントロみたいな重々しい余韻がグワーンとこだましている。線路は続くよどこまでも。そう、私は一度も日本海側に行った事がなかった。

大昔、酔っ払って「よーっし、日本海へ海を見に行こうぜ!」と友達と夜中車を飛ばして日本の腹部を縦断した事があった。結局朝が来て、何だか気分がしらけて途中で引き返した軟弱な蒼い思い出。誰だっけ、あの時運転してたのは。よく夜中のドライブしたな、あの頃は。意味も目的もなく車を走らせて。一体何を求めていたのか。あのやたらとけ怠い感情の正体は何だったのか。

なんて考えているうちに金沢に到着。

溶けかかった雪に覆われた駅前は、私たちの元々の目的「行ったことのない場所へ行こう!」を新たに呼び起こす未知感を上品に醸し出していた。

次に続く。




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