とやまの見え方・蜂飼耳さんと“有峰口駅”

2020年2月10日投稿

 不思議な体験でした。

 コラムを書こうと思い立つと、私は、種本の記述にインスパイヤーされて書くことが多く、今回も、枕元にある最近読んだ書籍を探っていました。いつものように大切と思う箇所には付箋が貼ってあるので、それを頼りに、書籍をとっかえひっかえ渡っていきました。雑誌の場合には、折り込んだりちぎり取ったりしてあるので、それらも開いてみます。しかし、今回はどうも上手くいきません。インスパイヤーされる記述に行きつかないのです。

 いったん書こうと思い立つと、その気持ちを鎮めるのが難しくて、久しぶりに、納屋の書棚に出かけました。付箋のついている書籍を順番に抜いては戻し、抜いては戻しと探しましたが、やっぱり話が広がるような記述に巡り合いません。

 そこで、納屋の隅に、これらはもう読むこともなかろうと、ヒモで十文字に縛って横積みにしてある書籍の束に目をやると、ヒモがほどけて、書籍の山から崩れ落ちそうなままにしてある一群があります。その崩れの一番上にあるばっかりにホコリだらけになった一冊を手に取りました。パタパタとホコリを叩き落とし、付箋の箇所を開いたのが、蜂飼耳(はちかいみみ)さんのエッセイ集『秘密のおこない』、今回の種本というわけです。

 付箋を付けていたのは「文字の居留守」と題するエッセイで、驚いたことに次のような書き出しで始まっていました。

 〈出来事や経験は、起こってすぐ書けることもあれば、しばらくの時間が経過して初めて言葉になることもある。〉

 何たることか、私が本の崩れた山に気が付くのを、納屋の隅でじっと待っていたかのような書きぶりです。そして、当然のことながら付箋の箇所には富山に関する記述が続きます。

 〈夜、机のところにじっとしていたら、にわかにひとつの駅が浮かんできた。数カ月前に降りた無人駅。富山地方鉄道の「有峰駅口」。戦時中、親戚の家が疎開していた場所だと聞いて、その線に乗った際に、降りてみたのだった。

 無人駅というと、切符を回収する箱だけ置いてある、しおれきった雰囲気のところもあるけれど、その駅は違った。まるで博物館のようだった。硝子越しに覗ける駅員室は、ついさっきまで人がいたかのような雰囲気を残していた。造花の入った花瓶。黄色いヘルメット。スタンプやノート。いろいろなものが薄明かりの中で息を潜めていた。

 空気が、ぎゅうと、押し込められていた。駅員の人はちょっと留守にしているだけ、すぐもどる、とでもいうような。居ないのに居る、というような。〉

 ……富山地鉄の立山線の無人駅が、蜂飼さんの筆で、ロマンチックに描写されている…。この駅だけを目指して行きたくなってしまう…。

 さらに読み進むと、その後の他のエッセイで、見落としていた富山関連の記述が次々現れました。私は、この本を最初に読んだ時、そしてヒモで縛った時、何をしていたんだろう。どうしてこの富山の記述の宝庫に気づかなかったんだろう。

 それをリストアップすると、まず文字数の関係で、

 〈富山の空港の売店に、いくつも積んであった薬箱。その真っ赤な色が蘇る。引き出しは一つ。〉

 あるいは、

 〈ときどき手に取る画集がある。『南桂子作品集 ボヌール』(リトルモア)だ。開けば、そのたびに、ひとつの空気がおもてへ漏れ出る。 〉

 いうまでもなく、南桂子さん(1911-2004)は富山県出身の版画家です。

 そして、

 〈ほたるいかがその町の沖へ現れるのは、毎年、三月から五月あたりに限られている。浜へ打ち上げられることもあって、地元ではその現象を「ほたるいかの身投げ」と呼ぶ。〉

 この記述に続いて、滑川の“ほたるいかミュージアム”とおぼしき施設の記述も出てくるので、富山に関する具体的な地名の記述はありませんが、これもまた、富山に関する記述でしょう。

 というわけで、冒頭の引用「出来事や経験は、起こってすぐ書けることもあれば、しばらくの時間が経過して初めて言葉になることもある。」そして、「ぎゅうと、押し込められていた」“富山”を、白日夢のように体験をすることになりました。

(引用参考文献)
『秘密のおこない』蜂飼耳著 毎日新聞社 2008年10月刊

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