とやまの見え方・横山大観と立山連峰

2019年6月10日投稿
 4月5月の10連休も最後の土曜日、夕食の前にと思い立ち、スポーツセンターで一風呂浴びすっかり爽快な気分になって、さぁ夕食だと帰途につきました。

 ところが国道は思いのほか渋滞で、ノロノロと乗用車を運転するうちに待ちきれなくて、いつもの書店に寄り道してしまいました。

 久しぶりに新書の棚に向かっていて…、『横山大観(近代と対峙した日本画の巨人)』を手に取りました。大観については全く不案内ですが、ただ、「富士山を見るには、立山からの眺望が一番素晴らしい」という趣旨の大観の言葉があるはずで、それを補強する記述があるかなあ?と、ページをめくっていきました。

 すると、次のような記述が目に入りました。

〈昭和22年日本美術院創立50周年を記念する再興第32回院展に、大観は全長27メートルにもおよぶ長巻《四時山水》を出品した。〉

〈大観はその巻頭に「趁無窮」という三文字を揮毫した。無窮を趁(お)う、とは永遠なるものを追い求めることで、大観の芸術理念でもある。この作品では旭光、富士にはじまり、残雪の比良山、春の竹生島、嵐山、夏の五条橋、秋の高雄、平等院、最後は冬の立山であろうか、おもに近畿地方の名所を題材とし、かわらぬ日本の風景に無窮を見ている。〉

 ここに立山とは、わが立山連峰のはずで、そうか、大観は立山連峰を描いていたのかと嬉しくなり、更にページをめくると、見開き2ページに《四時山水》から4枚の場面が写真で掲載され、4枚目が雪の立山連峰でした。

 そこで、ページに載っている大観の絵の立山連峰は実際のどこの峰のことだろう、同定したいと興味が俄かに高まって、いてもたってもいられなくなりました。新書をすぐに購入し書店の外に出ると、西の方角では、オレンジ色の夕日が、呉西の山並みに沈みそうです。東は立山連峰のはずですが、いろいろの建物に遮られ遠望が利きません。

 そこで、富山空港あたりの広々とした地域を思い出し、すぐさま車を駆って、日没前に間に合いました。

 あぜ道に立つと、雪をまとった立山連峰が、東のはるか彼方に、両手を広げたようにどっしりと展開しているのが遠望できます。

 さあ、件のページの大観の立山と実物の立山連峰を、見比べました。が、どうも、ぴったり一致する峰が見当たりません。何度となくページに目を落とし遠方に目をやりましたが、納得する構図がありません。

 いささか諦めというか飽きるというか気が抜けたとき、「月は東に日は西に」という蕪村の俳句の一部を思い出して、今度はお月様を、東の立山連峰の上空に探しましたが、あるいは頭上を探してみましたが、見当たりません。ま、これは、微妙に時節が違うのでしょう、仕方がない。

 そうやって、そこでたたずんでいるうちに、背後、つまり呉西の山並みに沈む夕日はますますオレンジ色を増し、それが東の立山連峰をおおっている白雪に反射して、右から左まで両手を広げている立山連峰の全山が、淡いピンク色に染まりました。

 あまりの美しさに、見とれているうちに、やがて、ゆっくりゆっくりと夜の帳(とばり)が下りていきました。

 私は飛行場近くから見た立山連峰で同定しようとしましたが、考えてみれば、大観が描いたのはここからだと決めつけたのは、私一人の早や合点です。

 果たして、大観は、富山のどの地点から立山を眺めて《四時山水》を描いたのでしょうか。記念の石碑でも建っていれば有難いのだけれど…、それはどうだか。

 富山平野に暮らした太古の縄文弥生人だって見ていたはずの全山ピンク色の立山連峰を、大観先生はご覧になっただろうか。

(引用参考文献)
 『カラー版 横山大観』古田亮著 中公新書2478 2018年7月刊

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