とやまの見え方・『広辞苑』に遊ぶ。呉西と呉東

2021年6月10日投稿

 今、手元に紙製のペラペラな栞(しおり)が1枚あります。いつだったか岩波文庫を購入した時に、その文庫に挟まれていたものでしょう。

 縦13.3㎝、幅5.8㎝の、さほど厚くない栞です。表側には、岩波書店の目玉商品『広辞苑 第七版』の広告が刷ってあります。裏側には、【『広辞苑』に遊ぶ18】と題した一口知識が載っています。

 その一口知識によると、

湖東 呉西 嶺南 峡北
中国か朝鮮半島の地名のようにも見えるが、いずれも日本における県の中の地域を指す語。それぞれの県内では日常的に使われている。「湖」は琵琶湖のことで、つまり「湖東」は琵琶湖の東、特に滋賀県彦根市を中心とする地域をいう。では「呉」「嶺」「峡」は? また、たとえば「呉東」「峡南」などの地名も同じ県内にあるのか? 広辞苑』上で旅してみるのも一興。

 と、記載されています。

 「呉西」「呉東」とは、富山県のことじゃなかろうか?と、栞の広告の『広辞苑 第七版』(2018)で調べてみると、次のように記載・説明されていました。

ごせい【呉西】(富山平野の呉羽丘陵より西の意)富山県の西部。
ごとう【呉東】(富山平野の呉羽丘陵より東の意)富山県の東部。

 申し分ない簡明な説明になっていました。

 さて、これは、『第七版』(2018)なので、では『第一版』(1955)ではどうかと、調べてみたら、「呉西」も「呉東」も記載されていませんでした。

 ということは、一版から七版へと版を重ねる63年の歳月のどこかで、富山の「呉西」「呉東」について世間の認知度が高まったというか、あるいは、富山県を熱心に愛する人が、岩波書店に掲載をプッシュしたのか…、真相はいかに?

 ものはついで、旧・新の『広辞苑』で、【富山】も調べてみました。

『広辞苑 第一版』1955年5月(第27刷 1967年)
とやま【富山】地名。─けん【富山県】中部地方の県名。越中を管轄。─し【富山市】富山県中央部の市。県庁所在地。前田氏十万石の旧城下町。神通川の右岸に位し、売薬・織物が隆盛。明治二十二年市制。人口十七万六千。

『広辞苑 第七版』2018年1月(第1刷)
とやま【富山】①中部地方日本海側の県。越中国を管轄。面積四二四八平方キロメートル。人口一〇六万六千。②富山県中央部の市。市域は長野・岐阜県境に至る。県庁所在地。中心市街地はもと前田一〇万石の城下町で、神通川の下流に位置する。臨海部は重化学工業が盛ん。人口四一万九千。

 “越中国を管轄”という言葉に、封建時代のような大時代的な響きがありますが、今でも旧国の地理が現在の地勢、行政でこういう表現をするものなのですかねぇ? それとも『広辞苑』特有の定義なのか? そして、富山市の1955年頃の織物産業って何? 2018年の重化学工業って何? 1955年の「薬の富山」は消滅ですか?

 以上、旧・新の『広辞苑』で、遊んでみた次第です。ちなみに、この『広辞苑』の価格は、次のとおりでした。

 第一版、2,500円。 第七版、普通版(菊判)本体9、000円。

(引用参考文献)
『広辞苑 第一版』岩波書店 1955年5月(第27刷 昭和42年12月)
『広辞苑 第七版』岩波書店 2018年1月(第1刷)

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