とやまの見え方・逃げ出した売薬さん

2022年8月10日投稿

  いつもの書店で、岩波文庫の書棚を見ていました。ジャンルが赤や白など帯の色で分かれている書棚を、左から右へ、上から下へと、何度も往復して眺めているうちに目に入ったのが「アイヌ神謡集」。なんとなく購入しました。

 あれは、昭和30(1955)年頃、私が小学生の時でした。当時の校歌に「1800の仲間です」という一節があるほどのマンモス小学校で、そこへアイヌの学校巡回興行の一行がやってきました。

 最近購入した朝日文庫の「定本 アイヌの碑」に、内地を巡回した学校巡回興行のことが記述されているので、小学生の私たちが見たのは、この本の記述の一行かもしれません。

 その日、私たちは講堂で、敷き詰められたゴザの上にぎっしりと座り、一段高いステージ上の演技を見守りました。みんな熱心に見ていました。

 「ピリカ」の歌が模造紙に書かれ、移動黒板だったか壁だったかに貼ってありました。それを見ながら、私たちも一緒に唱和しました。短い歌だったこともあり、その歌詞は、今でも思い出せます。

 岩波文庫の「アイヌ神謡集」から数か月経って、今度は、ちくま学芸文庫の棚を眺めていると、「アイヌ歳時記」に目が止まりました。

 立ち読みするうちに、北海道の生活ぶりが丁寧に記述されていて、小学校で見たあの演舞や民族衣装の記憶を呼び起すようによみがえり、購入しました。

 この文庫は2017年の刊行ですが、元の本は2008年の発刊なので、記述の内容は、そこまで年代を遡って読み取る必要がありますが、読み進むうちに、次のような記述に当たりました。

 シブシケブ(イナキビ、キビ)という食べ物に関するエピソードです。

 今でも、わが家ではおいしい食べ物としてこのイナキビをたべている。イナキビでこしらえた団子のことをシトというが、これを作って冷蔵庫に入れておき、食べたいときに出してきてパンと同じように焼いて食べるのである。

 そして、この記述に続いて、゛富山゛が次のように出てきました。

 今から100年くらい前のことだろうか、富山の薬屋さんが二風谷のアイヌの家へ泊ることになり、ゆっくりと夕ご飯を終えた。日本中を歩いている薬屋さんのこと、いろいろなおもしろい話をするが、その家の入れ墨をしたおばあちゃんは、日本語を聞いても半分もわからない。
 退屈になったおばあちゃんは大きくあくびをして、「あ―あ、シトでも食べたいなあ」
 これを聞いた薬屋さん、自分が食われると本気で思ってしまった。家中のものが寝静まったのを見て、こっそり逃げてしまったという。この話は私が書いた『おれの二風谷』という本にも書いてあるが、うっかり「シト」はつかえないと思っている。

 どうやら富山の売薬さんは ゛シト゛を「ひと」と間違え、人肉喰いと勘違いしたようです。

 ……とは言え、この売薬さん、次の旅先で、この体験を「いやー、エライ目に会いましたチャ」と面白おかしく話して、しっかり笑いを誘い商売繁盛となったのではないでしょうか。

追補

  この原稿を書き終えてから、出張で県外へ新幹線で出かけた時、車内で暇つぶしに読んでいた「週刊文春」で次のような記事が目にとまりました。富山の売薬さん関連で、ここに追補として紹介しておきます。
 大相撲の安治川親方(元安美錦、1978年青森県生まれ)が、青森県の実家のことを、語っていました。

 父は漁師で、民宿「杉野森旅館」の経営もしていました。地元の方たちが大広間で宴会をしたり、建設工事に来る人が数カ月いたり、富山の薬売りの方などが毎年定宿として二週間くらい滞在するような小さな宿です。調理師免許を持つ母と、祖母が旅館を切り盛りしていました。

(引用参考文献)
『アイヌ神謡集』知里幸恵著 岩波文庫 2016年4月55刷
『アイヌ歳時記』萱野茂著 ちくま学芸文庫 2017年8月刊
『定本 アイヌの碑』萱野茂著 朝日文庫 2021年7月刊
『週刊文春』令和4年5月26日号

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?