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死んでも火葬になりたくない

※割と多くの人が受け付けないであろうショッキングな描写(ペットの死とその(一般的には)異常な見送り方)があります。あと虫の話します


同じような悪夢を見た。2日も連続で。昔わたしはパンダマウスというかわい〜〜〜ねずみさんを飼っていたんだけど、1日目は死にかけているその子を動物病院へ連れて行ったら診断の前に待合室で冷たくなってしまう夢、2日目はその子が実際に亡くなっていた時の、冷たくて硬くなってしまった体を見つけた時の夢。

実際に可愛がっていたその子たち(複数匹飼っていました)が死んだとき、一般的には庭に埋めるとかプランター葬とか動物霊園とかが選択肢として上がるんだろうけど、わたしは考えに考えて考えた末に、あの子たちのおやつとして飼っていたミルワームに、あの子たちの亡骸を与えた。

我が家に庭はない。火葬には……後述するけど抵抗がある。プランター葬にして植物を育てるのとずいぶん迷ったけれど、そのうち実家を出るつもりもあったから、新居で植物を育てられる環境かわからない(安いアパートはベランダないので)。そして何より、わたしが死んだらどうされたいか? それを考えたときにわたしは、食物連鎖の中に還りたいと思った。

死んだらだれかに食べられたい。だれかというのはヒトではなくて、虫とか鳥とかなんでもいいけど、自然に生きるものたち。

あの子たちはそれはそれは美味しそうにミルワームを食べていた。本当にときどき、気晴らしになると良いと思って与えるぐらいだったから消費スピードが全然追いついてなくて、ミルワームはたくさんいた(虫が好きなので、都度買うのではなくミルワームを自分で育てて増やしていた)。こんどはあの子たちの番だ。そう思った。

友人と喧嘩した。なんて残酷なことをするのかと。燃やすのと何が違うって言うんだ。まして土に埋めるなんて、そんなのほとんど同じだろ。死んでしまったものは、苦しんでくれないのに。そりゃ、わたしだって、あの子たちが火葬にして欲しいようって言ったらそうしたよ。でもそんなこと、ねずみは言わないでしょう。最終的にこの友人はわかってくれて和解したのだけれど、でも、普通の人の反応はそうだろうということはわかる。わたしがおかしいんだろう。

死んでも火葬になりたくない。わたしが死んでしまって、その肉がだれの糧にもならずに、煙になるほど燃やし尽くされて。ボロボロの骨しか残んなくて、それだって人工の骨壷にいれられて、そんでツルツルした不自然な石の中(墓のこと)に入れられて、耐えられない、そんなの、嫌だ、もしわたしが幽霊になれるのなら、未来永劫成仏できないほどに嫌だ。

わたしはなにかの糧になりたい。でもそれができない理由もわかってる。単に自然の中にいたいのではない、骨を海に撒くとかそんなのはしょうもない、わたしの血肉が、わたしが普段ほかの生き物の命をいただくようになにかの糧になって、それもまた食物連鎖の中でなにかの糧になって、その循環の中に、わたしも入れて欲しい。ああ、人間になんか、生まれたくなかった。人間はさみしい。おぞましい!

ミルワームがあの子たちの体に群がる様子を、わたしはぼんやりながめていた。ずっと。人間の葬儀とは違う、ある種神聖な、不思議な体験だった。

ミルワームは肉しか食べないので、あとには毛と骨が残る。骨は耐えられた……けれど、毛を集めることがつらかった。わたしのてのひらでふわふわしていたあの子たちの毛が、もう今は暖かさも冷たさもない。くるくると毛玉にしてみた。こんなにギュッと小さくなって。元々簡単に潰せそうなほど小さかったのにね。

燃やしていたら、この毛玉は作れなかった。埋めてしまっても作れなかった。わたしがこの子たちを見送るには、やっぱりこれしかなかった。たとえ異常だと言われようとも。

みんないなくなっちゃってしばらくしてから、わたしはミルワームたちを食べた。しっかり加熱して……美味しかった。小エビとナッツの合いの子みたいな味がする。わたしは消費される側には回れない。でも消費することはできる。これでずっと一緒。

私たちの中にはあの子たち(ミルワームも含む)がいる。ほかの生き物も。わたしたち人間に育てられなければ、そうして食べられさえしなければ、みんな自然の循環の中にいられたのに……死んだあとに何者の糧にもなれないならと、生きているうちに肉をちぎりとって蟻の餌にでもできないかと考えたことは何度だってある。でも痛いしあと残るだろうし……まだやってない。いつかやるのかもわからない。

ああ、わたしのために犯罪者になってくれる人がいるのなら、わたしが死んだら、ほんの一部でもいいから肉を切り取って、そこらの虫にでもあげるか埋めるかしてください。でも、きっとできないだろうから、死んだらわたしは苦しむことさえできないのだから──わたしがあの子たちにしたことを正当化した理由とおんなじだ──みんなの心が楽になるように、みんなのための見送りをしてください。死んでしまう前にわたしは、叶わないこの夢をなんとか絵にして、満足するまで何度でもそうして、未練を残さないように頑張るのでね。

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