ルッキズムの蔓
はびこるという字は蔓が延びると書く。ルッキズムの種が蒔かれると、そこから蔓が延びて、寄生する人をがんじがらめに縛ってゆく。ある人の蔓は自分の首に延びる。そしてある人の蔓は他人に延びてゆく。道端に特定外来生物がいても多くの人は気に留めないように、ルッキズムの蔓がそこらに延びていることに、その異常性に多くは気づかない。
わたしの蔓は自分をがんじがらめにしすぎて場所がないから、他人へ延びていこうとする。道行くひとの容姿をジャッジする悪癖。自分と近い年代の女性(に見える人たち)が前を通りすがると、考えるよりも先に、顔が美しいか、服装にセンスがあるか、体形は細いか太いか、などといったことが浮かび上がってくる。よくないということはわかっているのだ。わかっているのだけれど。
わたしはちょっとだけ整形している。ダイエットもしている。最近サボってるけど(自律神経が壊れたのでお休みしていました。ちょっとずつ再開しているのでそのうちまた記事を書きます)。毎日毎日狂うほど容姿をよくするためのあらゆる方法を調べている。その癖に言うのもおかしいが、ルッキズムは本当にクソだ。
わたしは何を目指しているんだろう。ねえ、二重埋没の施術がどのように進むか知ってる? わたしの場合はこうだった。手術室で笑気麻酔を受けて(受けない人もいるらしい。怖くて無理だ)、瞼に局所麻酔の注射をする。もちろん意識がある。注射は笑気麻酔が効いていてもすこし痛いし、片目につき3回も刺す。そのあとは瞼に糸を通してぎゅーっと引っ張られたりする感覚を感じながら、「力抜いて!」「下を見て!」「顎あげて!」などと指示される。これがむずかしい。看護師さん?が落ち着かせようと肩を叩いてくれる。とんとん、とんとん、とされるのに意識を向けて目の周りの力を抜く。かかった時間自体は20分ぐらいらしいが、かなり長く感じた。終わったあと鏡を渡されて二重になった自分の目を見せてもらったが、目が悪いのとしょぼしょぼしててなんかもうつらくて、「わーすごいですね!」と言いながらも脳内はずっとぼんやり、しんどかった〜〜〜〜〜……としか考えていなかった。
麻酔が切れた後は目の周りが痛む。痛み止めを飲んでもじんじん痛い。家帰ってからも体調が悪くて、とにかく目を冷やしながら寝転がっていた。ちなみに頭が高くないとDT長引くので寝転がるのは良くない。私も途中までは耐えて座ってたけど無理だったから、死ぬほど頭高くして寝てた。DT2日目ぐらいまではずっとしんどい。3日目ぐらいから多少楽にはなるけど、目がしょぼしょぼしたり、時々突っ張って痛くなったりして、その度にとてつもなく不安になった。埋没経験者の友人が数人いたから励ましてもらえたが、これを一人で乗り越えていたらもっともっと苦しかっただろうと思う。そこまでしたって、まぶたにたった一本線ができるだけなのだ。本当にしょうもない。それでもやってよかったと思ってる自分が、一本の線に囚われてる自分が、そうさせる世界が、この世の何もかもが。
顔が可愛くない、ただそれだけのことが、ここまで人生に暗い影を落としていること自体おかしい。ときどき八つ当たりしたくなる。この自撮りアカウント、たいして可愛くないくせになんで囲われてるんだろ。男っていいよな、女ならやっとスタートラインってとこまで整えるだけで平均より良く見えるんだから。ちょっとこの二重モニターの人、二重にする前に痩せる方が先でしょ。とか。他にもいろいろ。一番醜いのは己の心だ。知ってるよ、だからなに? 容姿を美しくする努力をするだけで精いっぱいで、それ以外はゴミだよってその醜い心が叫んでる。清い心と交換できたら、こんなに苦しまなくて済むかもしれないね。どうせ頑張ったって、満足するほど美しくはなれないんだからさぁ。
近々同窓会があるらしい。子どものころのわたしは見るに堪えない不細工だった(本当は、見るに堪えないほど醜い人なんているわけがないし、たとえ自分であってもそんなことを言ってはいけないとはわかっている)。みんなに会いたい。記憶を上書きしておきたい。誰かの中のわたしが、ずっと、ずっとあの姿でいることが耐えられない。自信がないからこそ、自撮りをインスタに投稿するし、友達がわたしとの写真をアイコンにすると喜ぶ。過去のわたしを上書きするために。それがずーっとやめられない。
誰しも生きていれば年を取る。これが人生最上だと思うのは何歳の顔だろう。あと数年でルッキズムにけりをつけて、自分を愛しながら歳を取りたい。
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