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原石

この記事は「カニ人アドカレ2023」11日目の記事です。
10日目→ Resoniteでカスキーニャちゃんを描いてみた

 南海底帝国某所にて、1匹のカニ人が喚き嘆いている。
「もうオトヒメ社長のブラックバイトはこりごりカニ! 資本主義反対カニ! とはいえ働かなければおまんまが食べられないカニ……次は時給50円……いや、30円……30円は欲しいカニ……」
「でもここらじゃ魚介人を雇ってるところはどこも似た状況カニよ。美味しいまかないがあるだけ竜宮城は天国カニ」
「あれはまかないじゃなくて残飯カニ。美味しいけど……とにかくカニ人はもう竜宮城やめるカニ! 転職カニ! キャリアアップするカニ! 仕事探しに行くカニ!」
 もう1匹のカニ人が止める間も無く、竜宮城アンチのカニ人は走り去っていく。「どこいくカニか? 職業紹介所は反対側カニよ」「あそこは似たような労働条件のところばっかりカニ! カニ人は自分の足で仕事を探すカニ、ほっといてくれカニ」。そんなものうまくいくわけもないのに。まあ落ち続ければそのうち戻ってくるだろう。運悪くちぎられたり投げられたりして戻って来られなくなっても、カニ人はたくさんいるのでさほど問題はない。竜宮城アルバイターのカニ人はそう考え、それ以上声をかけることはやめた。


 数時間後、カニ人は仕事がありそうな場所を見つけては文句を言うだけの生き物になっていた。あの店はぼろっちいから嫌だ、あの事務所は凶暴な人魚が怖い、あそこは……という具合に。
 歩き疲れてため息をつくと、近くのぼろい壁にぼろい紙が貼ってあるのが見えた。おずおず近づいてみる。「教師募集。担当科目不問。時給応相談……」なかなかよいのではないか? 教師といえばなんだか偉そうだし、30円どころか100円は貰えるんじゃないだろうか。善は急げともいうし、カニ人は早速学校へ向かった。

「カニ人を雇って欲しいカニ!」
 扉を開けると、巨大で艶かしい、青く柔らかい棘のついた脚が蠢いていた。上部に目を向けると、豊かな毛髪に丸眼鏡が目に入った。いかにも先生らしい容貌だ。
「あらあら。ちょうど清掃係が足りなかったの。歓迎するわ。時給はそうねえ、25円ぐらいでどうかしら」
「やったカニ! 給料アップカニ! って違うカニ、カニ人は教師として働きたいカニ!」
 そういうと彼女はレンズ越しに目をぱちぱちと瞬かせ、「あらあら」、本当に驚いたような顔をした。
「本気で言っているの?」
「本気カニ!」
「確かに教師の募集は出したけど……雑魚が教師なんかできるものかしら」
「種差別カニ」
 カニ人は得意のしゃべくりで痛烈に批判をかまそうとしたが、彼女は大きな触手でするりとカニ人を捕まえると、顔の前まで持ってきて口をあんぐりと開けてみせた。
「ひっ!」
「ふふ、冗談よ、冗談……今は機嫌がいいから。そうね。教師として働くのであれば、テストを受けてもらう必要があるわね。ふふ……私がなんで募集を出したかというとね、全教科を私が教えることに疲れちゃったからなのよ。でも私の生徒に教えるのであれば、私よりも何かが優れていなければならない。担当科目の知識でもいいけど、まあそれはほぼ無理と言っていいわね。私より詳しいような人は路頭に迷ってあんな求人にかけてきたりしない」
「そういうもんカニか?」
「そういうものなのよ」
 そして彼女は真っ直ぐ目を見つめ、こう問いかける。
「あなたは何ができるのかしら?」
 カニ人は少し考え込む。自分が村で何をやっていたか……竜宮城アルバイターの前、カニ人は専門職だった。
「研究ができるカニ」


 このカニ人は研究職で、体をはってちぎり投げられた体の再生実験をしたり、人魚くんに手伝ってもらって手に入れた人魚の鱗でどの程度自身にダメージを与えられるか試してみたり、ちぎり投げられた同胞の亡骸を拾って、対カニ人武器をあえて作成し、その攻撃に耐えるにはどうしたらいいかなどを考察していた。要するに、カニ人とニンゲンが戦う日が来た時のため、自身の弱点を調べる仕事をしていたのだ。
 しかし、その日は突然訪れた。真っ白なカニ人……アルビノカニ人と名付けられた殺戮兵器が突然マリアナ海溝に訪れ、村はほとんど崩壊した。そうなれば竜宮城アルバイトの方がずっとマシである。格安の労働力である分多少は守ってもらえるからだ。


 彼の研究内容を聞いたクラーケン人魚は、ほう、と目を丸くした。完全に雑魚だと侮っていた種族が、そこまでの研究力を持っているとは。しかし彼らには金もなく、設備もない。研究方法自体はしっかりしているのだが、前時代的と言わざるを得なかった。彼女の中の教師としての魂が叫び出す。
──もったいない。輝かせたい、この原石を。
「だめよ、そんなことでは」
「や、やっぱり雇ってもらえないカニか」
「ちがう、研究というのはそんな環境でやるものじゃないってこと」
 彼女は本棚まで滑らかに泳ぎ、カニ人を手招く。
「これは私の生涯のテーマ。一生かけて研究したいと思っていたこと……の、参考文献よ。仕事が忙しくて、研究ができないの。事務員も引き続き募集するけれど、あなた、これを研究しなさい」
「か、カニ人にそんなことできるカニか」
「できる。まずはここにある本を全部読みなさい。それが最初の1ヶ月のあなたの仕事。時給は人魚族と同じだけあげるわ。期待外れならクビにするけれど」
「いいカニか!?」
 カニ人は目をらんらんと輝かせて本棚に飛び込む。
「知的好奇心が刺激される仕事は久しぶりカニ。あれもこれも面白そうカニ」
「1ヶ月後にテストをするから。きちんと読み込みなさい」
「はいカニ!!」


 カニ人はとっても頑張った。長生きの人魚族だけあってかなり古い文献も多く、生まれて数年の彼が読み解くのにはずいぶん苦労させられた。寝る間も惜しんで読み続け、読み続け、読み続け……。ついに運命の時はきた。
「及第点」
「ギリギリセーフカニ!?」
「そうね」
 クラーケン人魚は、敵種族とは思えないほど優しく、おそらくは生徒に向ける笑顔で微笑む。
「よくがんばったわ」
 カニ人の心にじんわりと温かな何かが広がってゆく。村で研究職をしていた頃も楽しかったが、ニンゲンには強いのに何やってるカニ、アホカニ、というものもいた。それでも、自分の体を実験台にしてまでめげずに続けたのは、それが好きで好きでたまらなかったからだ。その瞬間、彼はふっと集合体からの離別を感じた。"裏切り者“になったのだ。
「ま、まずいカニ! 記憶の参照ができないカニ! 結構研究はこれに頼ってたカニ……いや! それより、きっと同胞がここにきてカニ人を始末しに……」
「落ち着きなさい」
 カニ人は本能的な恐怖からピシッと固まる。
「あなたが師事しているのは誰だと思っているの。この海でいちばんの賢者、あなたたちが知ってることなんてすべて知ってる。それに、追っ手の雑魚からは私が守ってあげるわ」
「クラーケン人魚ちゃん……」
 彼の頭を撫でる職種に、彼はわずかに母の息吹を感じる。幼いころにイカ人魚ちゃんを母だと思い込んでいた頃の、集合としてではなく個としての記憶。
「あなたが私の触手のひとつになるまで、死ぬことは許さない。私は教育者としてあなたを育てたいの。あなたは原石だと思うから。雑魚にもそれがいるという気づきを……唯一私が知らなかった知識を与えてくれたのは、あなた。胸を張りなさい」
 クラーケン人魚はそういうと、奥の棚からなにやら小さな布を持ち出した。
「教師になるなら気品ある格好をしなさい。服は見つけられなかったのだけど、ぬいぐるみ用の小さなネクタイならあなたに合いそうなのがあったわ」
 するすると触手の先で器用にネクタイを巻いていく。爆発するかと一瞬震えたが、爆発することはなく綺麗に結び終わる。
「青は知性の象徴よ」
 赤い肌に映えるブルーのネクタイ。今日から本当にあなたは教師になるの、おめでとう。クラーケン人魚がそういって、ネクタイから手を離す。カニ人は今まで知らなかった歓喜に打ち震え、礼を言った。
「その分忙しいわよ。まずは私の補助をしてもらうから」
 1ヶ月前のあの日のように、彼は「はいカニ!」と大きく返事をした。

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