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節目の歳

子どもの頃のわたしには、22歳というのは永遠のように遠い先の話だった。22歳というのは、母がわたしを産んだ歳で、わたしにも何かが起きると思っていた。

現実には何もない。昔は大学を卒業する歳だな〜とも思っていたけれど、高卒で就職してしまったし、いろんなことが重なって鬱っぽくなって病休をとって寝てるのが、現実の、22歳のわたし。

最近抗うつ剤を飲みはじめた。薬の効果か実家に帰ったのがよかったのか、はたまたチルトトレーニングのおかげかわからないけれど、明らかに体が楽になった。

チルトトレーニングはこれ。多分このトレーニングはほんとに効いてる。立ちくらみ減ってきた。病院行ってよかった……。

メンタルもよくなってる。ここ数年、もしかすると生まれた時からずっと、苦痛の中に息継ぎのように幸せな時間がある感じで、泣かない夜の方が多分少なかった。暗い感情に飲まれて、涙を流しながら寝床につくのは普通のことだと思っていた。こんなことは取るに足らないことだ……って。苦しい記憶や自分の過ち、過ぎ去っていこうとするそれらを必死に抱きかかえて泣いていた。

それが今は嘘みたいに楽だ。単にこの数日調子良いだけなのかもしれないけど、忘れないでおきたいと思う。毎日苦しいのはそれだけで異常だということ。自身に対する懲罰のように記憶を掘り返して泣かなくても眠っていいこと。わたしは決して孤独ではないこと。わずかでも自らの死を願うことは健全じゃないこと。

全部知っていた。わかっていた。病識があったつもりだった、でも治ってみればあの時は自認よりおかしかったね……って気がつく。苦しくて苦しくてそれでも毎日、勝手に溢れ出るネガティブ思考に理性でもって対抗して、結果より苦しくなった。苦しむことをどうしてやめられないのかという問いが、わたしをさらに追い詰めた。どうして? 簡単なこと。病気だから。頭がおかしいからやめられなかったのだ。

母はこれっぽちの時間しか生きないでわたしを産んでいたのだと思うと、まだまだ若いのにという気持ちと同時に、人生への焦りが出てくる。何かあると思っていた、この歳には何かあるって、根拠もなく。その焦りの中、時間を病気で消費するのはあまりにももったいない。何かあるはずだった歳はもう来ない。これからは自分で、何かを起こさなければいけないということ。

はやく職場復帰して、すべてよくなりたい。そうしたら前を向いて歩ける気がする。以前、下を向いて歩かないで、前を見て歩いたほうがいいって人に言われて、時々意識している。しゃんと立ち、前を向き、顔を上げて歩く。人生はその方がいい。

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