夏風邪引いちゃった

どうしよう、一番暑い時期に風邪を引いてしまった。
熱を測ってみたところ38℃ちょっと。喉も痛いしなんだかだるい。コロナじゃないといいなぁ……。

あまり難しいことを考えられそうにないから、ぼーっとアニメを観ながらこれを描いている。
割とアクション多めで死体がバンバン出るような作品だ。
私は歩き方も喋り方もトロいらしいので意外に思われるけど、実は人がたくさん死ぬような作品は嫌じゃなかったりする。
破壊や死がもたらされた後の退廃には不思議な安堵感さえ覚える。きっと死んだ人間はもう怖くないからだろう。

何より死を題材にするような作品は世界観がファンタジーな傾向にあるしね。ここではないどこかで架空のキャラクターが殺し合う分には何とも思わない。
戦士として生きる人間は死ぬのも覚悟の上だったはずだし。
だから侍や騎士が命を散らすような作品はすんなりと受け入れられるのだ。命と引き換えに名誉を手にしたなら、一体何の未練があるのか? 彼らも誇りを胸に息を引き取ったに違いない。その散り様は美しい。美が命を超越する価値観には惹かれるものがある。

幽霊だのゾンビだのもあんまり怖いと思わない。むしろ異形の怪物には愛らしさすら感じる。彼らは体の形が皆と違うせいで人々に受け入れられない。私は心の形が皆と違うせいで受け入れられない。物理的な除け者と精神的な除け者で、傷を舐め合おうじゃないの。
血も内臓も目を背けたくなるほどキツイと感じることはまずない。そもそも血を見る機会は定期的に訪れるものだ。

じゃあ君は暴力的なコンテンツが全部平気な強いINFPなんだね! と言われると、そうではなかったりする。
私は物理的な暴力表現は何も感じないのだが、精神的なダメージを感じさせるシーンにはあまり耐性がない。
具体的に言うと、実写ドラマやバラエティ番組が苦手だ。直視できないことも多い。

なんとなくテレビを点けるとドラマが放送されてて、俳優さんが怒鳴り声を発していることがある。ああいうのは苦手だ。たまらずビクッとなってしまう。
上司が部下を怒鳴りつける、妻が夫を怒鳴る。国産のドラマはこういうシーンがやたら多いように見受ける。
実写ドラマで日本人俳優が声を荒げているのを見ると、なんだか自分が巻き込まれているように感じるのだ。
作中で誰かが酷い叱られ方をしていると、いたたまれない気分になってくる。そして気が付くとチャンネルを変えている。

バラエティ番組が苦手なのは、他人の容姿や喋り方を馬鹿にするのは受け入れ難いからだ。いくら笑いを取ると言っても限度があるよ。
たとえ弄られているのが男性芸人だとしても「可哀想」という気持ちが先に来る。最近はコンプラが厳しくなってこういう笑いは出来なくなりつつあるそうだが、それでも観る気にはなれない。
私は生まれてこの方、見た目が悪いというだけの理由で異性を嫌ったことは一度もないと断言できる。
虐めをするイケメンとボランティア活動に参加する醜男なら、絶対に後者の方が魅力的だと思う。

私がこういうことを他人に言うと、昔から「それは本気で言ってるのか?」という顔をされることが多い。あまりにも綺麗事すぎて嘘臭いのだそうだ。仕方ないので学校でも職場でもずっとずっと周りに話を合わせて生きてきた。
何の興味も湧かないアイドルの名前を憶えて、「こういう人が好み」と言ったこともある。虚無だ。

そうやって虚しさを覚えるたびに文庫本を手に取り、近所の丘に登ることとなる。日焼け止めをたっぷり塗って、お菓子や水筒をリュックに入れて、草木に囲まれながら読書を進めるのだ。
自然はいい。葉っぱと葉っぱが擦れ合う音は凄く落ち着く。鳥やトンボが視界を掠めるのも好きだ。タワマンに住みたがる人の気が知れない。
破壊や死がもたらされた後の退廃に安堵感を覚えると冒頭で言ったけど、動植物を見ている時もかなり癒されている自覚がある。ひょっとしたら私は生きた人間以外なら何でも安心できるのかもしれない。

人間は怖い。
でも人間が好きだ。

だから私はなるべく他人に受け入れてもらえるように、可能な限り素の自分は出さないようにしている。皆が話しかけやすいようにくだけた口調にして、見た目にも気を使って。
勉強も運動も頑張ってきた方だ。テストで100点を取り、リレーの代表に選ばれるような学生時代だったのだ。なのでINFPと診断された時、ムッときたのを覚えている。無能な社会不適合者が多いタイプ? この私が? こんなに皆に好かれるために頑張ってきたのに? と。
けれど残念なことにネットに転がっているINFPの嘆きは全部共感できてしまう。優等生より落ちこぼれの方が遥かに私と似た心を持っている。どうしてそんなに私と同じなの。そんなにそっくりならもっと早く声を上げてくれれば良かったのに。十年前に名乗り出てよ。そしたらお友達になれたのに。

勉強は好奇心を刺激されるから嫌いではなかったが、運動は嫌いだった。ただ虐めを回避したくて、それだけの理由で体を動かしていた。
本当の私は教室の隅っこで自由帳に絵を描いていた頃と何も変わらないのに、中学に上がってからはずいぶん無理を重ねたものだ。

ああ……頭がふわふわする……。

色々だらだら書いたけど、皆のことが大好きだよ。
本当は嫌いな人なんて一人もいないんだ。今まで出会った人全員と仲良くなりたかった。
たとえ私を散々いびったお局様だろうと、「あの時のことは水に流してくれる?」と言われたら私は「いいですよ」と答える気がする。やっと私を認めてくれたんだ、とみっともなく尻尾を振るだろう。
心が綺麗なんじゃない、他人を拒絶できるほどの強さがないのです。人生をやるための最低限の硬さが備わってないのです。
もしも願い事が一つだけ叶うなら、私は巨万の富でも永遠の命でもなく、「世界中の人間に自分を好きになってもらう」ことを選ぶだろう。だって私はもう皆のことが好きなんだから、皆も私を受け入れてくれたっていいじゃない。
私は壊れているのですか? 違うよ、熱があるだけなのさ。寝て起きたらまた元の私だよ……。


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