産まれてきてくれてありがとう。
【AYA世代息子のALL闘病日記.83】
本日9/28は息子の22回目の誕生日。
息子は職場復帰後、大きなトラブルもなく消防士としての日常を取り戻しつつあります。
月一の外来での抗がん剤治療も入院中ほど大きなダメージもなく血液検査データも大丈夫そうで、ホッとしているところです。
今日は家族みんながそれぞれの場所で仕事なので、一同には集まれないけれど、
家族LINEでは息子の産まれた時間(朝)に一斉にLINEを送り合い、
息子がいのちの危機を乗り越えて22歳の誕生日を迎えられたことに感謝しました。
ちょうど22年前の今日のお産の記憶が蘇ってきて、主人と
「お産立会ったよね〜」って話しになり、
当時勤めていたクリニックの看護部長の助産師が私のお産介助をしてくれたんだけど、
お産ギリギリになっても立会ってくれるはずの院長がなかなか来ず、医者の到着待ちでお産になったことを想い出しました。
院長が分娩室に到着するまで息子のアタマは私のおまたに挟まったまま、
「待った!」をかけられた状態。
私達産婆は医師がいなくても基本的に正常分娩を取り扱えるのですが、
私自身がクリックの職員であること、スタッフのお産は慣例的に院長が立会ってくれていたこと等もあり、「院長が来るまで産ませない」というスタンスだったので、
規則的に押し寄せる陣痛に任せて赤ちゃんを出してしまうワケにもいかないっていう内部事情がありました。
もちろん、分娩室で立ち会っていた主人はそんなことは露知らず。
私も助産師だし仲間内なので、陣痛のピークで人生最大の痛みの渦中にありながらも今がどんな状況なのかがよくわかるだけに、
分娩台の上で「院長待ちか、早く来てくれ、もうこれ以上ムリ!!」と悪態ついていました。
あの時もし、院長がすぐに来てくれていたら息子の出生時間はあと4分早かっただろう。
とか、そんなお産の様子を立ちあってくれた主人に話したりしながら、懐かしく想い出しました。
そもそも、息子は妊娠初期の大量出血により、私のお腹の中でいのちの燈が消えてしまうかと思われたこともありました。
が、そんなギリギリのラインの中でいのちを繋いできてくれた。
23年前のあの時ほど「もう終わった」と思ったことはない。
あの危機を乗り越えた息子のいのちの燈はそう簡単には消えないはず・・。
と神頼みをした昨年の11月頃は、
とは言え、複雑な境地でココロがザワザワしていました。
22歳の誕生日はもしかしたら迎えられないかも…と一時は覚悟もしましたが、
お陰様で、今、こうして再び職場復帰することが出来ています。
まだまだ治療は続くけど、
家族や仲間たちとみんなで乗り越えてきた軌跡を感謝とともに改めて実感しています。
普通に笑ったり泣いたり、ふざけ合って戯れあったり、
口ポカ〜ンと開けて寝落ちしてる姿も、一生懸命お仕事頑張ってる姿も
ほんとに、生きていてくれていることがこんなにありがたいこととは気付かなかった。
「病気による学び」って口ではそう簡単には言えないけれど、
患者自身や患者家族など、当事者になって始めて学んだこと、感じ取ったことはたくさんある。
今や、入院中に白血病になったことをきっかけにご縁を頂いた諸先輩方のご指導やサポートをいただきながら、
息子がなりたいと思った消防士像に近づくために、とある活動に邁進している毎日。
大きなチェンソーを手に、知識力も技術力も社会のしくみも併せて学ばせてもらっているようです。
お願いだから、その自前のチェンソーでケガせんごと(しないように)、お願いしますね。
母は心配でしょうがないとです:(;゙゚'ω゚'):
私も仕事で赤ちゃんを抱っこしている写真を母親に見せると「赤ちゃんを落としなさんなよ(落とさないようにね)!」って注意されてたっけ。
そのたびに「落とすか!」って母親にいつもツッコミ入れてたけど、
今、きっと私も母と同じことを息子に言ってるよね。(笑)
今日、この日を家族みんなで楽しく迎えられたことに感謝します。
息子よ、産まれてきてくれてありがとう。
そしてもう一つ。
私を産婆のたまごとして信頼して任せてくれた恩人Mさん親子にも感謝を込めて♡
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