3日坊主脱却への道〜2(2023/9/16のこと〜

さぁ、今日は日付が変わる前に
どうにか投稿したいなぁと思っております。
が、VIVANT見ないといけないので
それまでにどうにかしたい気持ちでもあります笑
→結果無理でした(°_°)


さぁ、世間は3連休に突入しましたが、
我が家はいつもと変わらない1日を過ごしました。

育休中の1日は、ほとんど変わり映えのない毎日で、
授乳して、離乳食やって、家事もして...
とあっという間に1日が終わってしまうのですが、
そんな中でも、ふと"私育休中に何も成長できることしてないな"と
感じてしまうことがあります。

毎日毎日お子と向き合いながら
家事育児に奮闘しているはずなのに、
なんでこんな気持ちになるんだろうか?


皆さんは、なぜこんな気持ちになると思いますか?


人それぞれ感じ方や考え方は違うので
確実な答えがある訳ではありませんが、
私が考えるに、育児休業というネーミングと、
それに加えて片親が育児・もう片方が仕事をする時間が
少なからず発生してしまうからだと思います。


まず、ネーミングについては、
単純に"休"という文字が付いているので
"私は(本来続けるべき仕事を)休んでいるんだ"という気持ちに
無意識に陥っているように感じます。

自分の身体やお子のために時間を割くことは
仕事以前に大切で最優先されるべきことだと思いますが、
この"休む"という字によって
どうしても"休んで迷惑をかけている"とか
"無理を押してお休みをいただいている"と考えてしまい、
"せっかくもらったお休みなんだから
何か有意義に(仕事に還元できるように)しないと"と
真面目な日本人らしい思考に陥っている気がします。


そんなこと、本来は期待されてないはずだし、
期待したらダメなんですけど、
今までの慣習というか慣例というか
避けては通れないものがありますねぇ。

特にこの理屈は、男性が育休を取ると起きがちな気もします。

男性育休については、夫も長く取ってくれたので、
またどこかでその時の経験をお話ししたいと思います。



2つ目の理由については、
日本では圧倒的に父母両者が同じ期間育休を取るのではなく、
どちらかはずっと(または早く復帰して)就業してますよね。
そして、これは如何せん男性が就業している方が確実に多い。

仕事をしてくる、というのは、
お給料という対価があるため
稼働度?や家族への貢献度が見えやすいです。
一方、育児・家事は、明確な評価基準や対価がないため
それらが見えづらい状況になりがちなのかなぁと思います。

そこに、日本の古くからの慣習が相まって
家でいる方の人間は無力感を感じてしまうのかも...。


男女平等やら、ジェンダーレスやら、口では言っても、
なかなか変わらない物がまだまだありますね。
女性もフルタイムで働く時代なのに
遺族年金は女性が亡くなってももらえないみたいだし。


ふあ〜、なんだか嫌な話しちゃいました。
でも、自分の気持ちの棚卸しや
その原因を考えてみるって大切なことだと思うので、
こちらに残させてください🙇‍♀️

今日はここまで!
明日のラグビーのために、情熱大陸観て寝ます。

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