見出し画像

【小曽根真&伊藤君子】伊藤君子&小曽根真DUOコンサート 2001年12月16日 三重県文化会館

 三重県文化会館は、JR・近鉄津駅から約二キロの距離にあり、大中小の三つのホール、県立図書館などを含む、巨大な文化センターである。12月16日(日)午後4時から、ここの中ホールで、我らが伊藤君子&小曽根真DUOコンサートが開かれたのは皆様ご存知のとおり。山口県のスターピアくだまつからスタートした、お二人のDUOツアーの二会場目にあたる。今回が三重県文化会館の自主公演としてははじめてのジャズコンサートだとのこと。ホールの玄関に貼ってあったポスターには「'97モントルージャズフェスティバルの再現」という謳い文句が書かれてあった。僕は、「ジャズには、『超越』はあっても『再現』はないはずなんだがなあ・・・特にこの二人にはなあ・・・」などとブツブツいいながら、会場に入った。もちろん、この予感は見事に的中したのであったが・・・。


 ほぼ満員の客席。定刻を五分過ぎていた。客席の照明がおとされ、あちらこちらか咳払いが聞こえてくる。グランドピアノが置かれた舞台の上も真っ暗。袖から女性が出てきて椅子をちょこちょこっと直しすぐに戻る。と、また人が出てきて、こんどは腕時計をはずして、ピアノの上に置いた。舞台は真っ暗なまま。あっ、あの仕草は?と思った瞬間、その人がマイクも通さずこういった。「あんまり静かやから、お客さんいてへんのかと思いました。今日は、伊藤君子さんと一緒にやるんですけど、まずはソロを二曲聴いてください」。


やっと会場全体が、小曽根さんの存在に気づく。拍手。そして照明。静かにコンサートが始まった。小曽根さんは、黒の上下。精悍な印象である。
Solo
1 Bienvenidos al Mundo
つい先日の橋本での演奏とも全く違う力強い演奏。不協和音を主体とした硬質な音が、あたりに散乱するような印象を受ける。これが今日の小曽根真なのだ。
2 Asian Dream
この曲のソロははじめて聴いた。甘美で、スローな、ソロにふさわしい演奏。いつもの小曽根節が随所に聞こえてくる。


Duo
ここでペコさんが登場。(まだツアー中なので、服装やMCは書かないでおきます。ペコさんのMCがしっとり情熱的なのはご存じのとおり。会場にいってのお楽しみです!)
3 My Favorite Things


4 Like A Lover


5 Isn’t It Romantic


6 My Funny Valentine

7 Who Can I Turn To
ね、すごいでしょう?“Isn’t It Romantic”では、小曽根さんの歌詞のone noteづつ音を弾いてゆく伴奏と、それにつられて出てきたPecoさんのスキャットの応酬が絶妙。” Who Can I Turn To”では、ガーシュイン・バーンスタインの語法を随所にちりばめた伴奏。数日後に控えているコンサートの影響があるように思えた。


(ここで15分の休憩)


 二部の冒頭は、小曽根さんのMCからはじまった。「五年ほど前に、僕ここに来たことあるんですよ。演奏じゃなくて、うちのかみさんが芝居をやっていて、ここで公演があるので、僕がクルマで神戸からここに連れてきて、そんで、舞台もみないで東京へ行かなければならなかった。だから、舞台からの風景もはじめて見るんですけど、このホールとってもいいですね。音響もいいし、なによりお客さんがいい。ソロで弾いてるときに、最後の音まできちんと聞いてくれるのは、すごいうれしいんです。また近いうちに、必ずここに帰ってきたいと思っています・・・」。(拍手)小曽根さんがみすずさんの話をするときは、すごくラブリーである。最近小曽根さんのお惚気はますます磨きがかかってきたようだ。


Solo
8 Prelude(Maurice Ravel)


Duo
9 On A Clear Day
10 Send In The Clowns
11 When The World Turns Blue
ペコさん「毎回(演奏)が違うんですが、(小曽根さんが)自然に連れて行ってくれるから、心配ないんです。金ちゃんうれしいいねえ。あつ、金ちゃんっていうのは私のお友達で・・・。突然固有名詞だしてごめんなさい」。この言葉が、今日のコンサートのすべてを言い尽くしていると思う。ちなみに、「金ちゃん」とは、もちろん我らが「金ちゃん」のことである。
前から三列目でずっと目があっていたらしい。それにしても、こういうときのペコさんは実にチャーミングなのである。ほんとにね!


12 Follow Me
ピアノソナタの語法が随所に出てきてすばらしい演奏。


13 It Don’t Mean A Thing
アップテンポに「ドゥア、ドゥア、ドゥア、ドゥア、ドゥア、ドゥア、ドゥア、」と続く名曲。曲名がわからなくて、あとでペコさんに手書きで書いてもらった。大切にします。(それ目的ちゃうでえ)ちなみに金さんは、「それ通称『ドゥア、ドゥア、の曲』っていうんですよと教えてくれた。もりろん金さんもキュート。


14 Can’t Help Lovin’ Dat Man
ペコさんの大好きなこの曲がラストナンバーとなった。もうね、すごい演奏でしたよ。


Encore
15 Imagine
ジョン・レノンの名曲。ふたりの祈りのようだった。

 終演後、いつものようにサイン会。今夜もとてもとても長い列が出来た。僕も、こないだ橋本で買いそびれた”Dear Oscar”を購入し、でもサインは持参した”KIMIKO”にしてもらうというよくある荒技を使ってしまった。小曽根さんとペコさんが、「それにしてもmid-westさん、遠いのによう来てくれはったねえ・・・」としみじみといってくれてとても面はゆかった。しかし、正直、こんなにほめてくれるんやったら、またやったろかいな?と思った。ちなみに、金さんまで、「今日はmid-westさんの方が遠くからきてるからほんまの遠征ですよ」。この言葉は勲章にも勝る。勇気がでた。ほんとにまたやってしまいそうである。金さんのようにマルセイユまでは無理だとしても・・・。

しかし、最後になりますが、ここに正直な気持ちを書くことを許してください。


 僕は、去年の秋、小曽根真のピアノに出会い、今年になってライブを聞きにでかけ、三鈴さんに出会い、ペコさんの歌を聴きました。子連れでペコさんのコンサートにおじゃまし、三鈴さんの舞台を見に出かけてゆくうちに、どんどん僕は音楽の、アートの深みに引き込まれていったのだと思います。でも、確かにあの日、そうあの日から、僕の人生の中での音楽の意味が明らかに変わったのです。2001年7月29日、暑い一日でした。午後から三鈴さんの舞台を見、小曽根フォーラムの仲間達と六本木に移動し、そしてアルフィーでの白井美貴子さんのライブを聴いたあの日。俳優さんたち、ジャズミュージシャンの人々と同じ空気を吸ったあの数時間。心と身体が奥底から揺すぶられました。あのときから僕は、音楽が、ジャズがなくてはならない人間になったように思います。それ以来、今世界中のどこかのライブハウスでコンサートホールでおこなわれている演奏が、まさに自分が生きていることの重さとして感じられるようになったことなのだと思います。実は、僕の中で、音楽というものの位置が少し中心に移動したということだけなのかもしれません。しかし、40歳までの僕にはそんな感情などありませんでしたから、やはりこの経験を「世界が変わった」といってしまうしかないのだろうと思っています。


 9月11日を境に、「世界が変わった」と、とりわけジャーナリズムはいいます。「こういう言説は、こういう芸術は、9月11日以降無効だ!」などという乱暴な意見さえ横行しています。でも、ほんとうにあの事件で「世界が変わった」のでしょうか?憎悪と恐怖がほんとうに世界を変えてしまうでしょうか?僕の内面で起きた「音楽」への重点の移動のようなささいな現象が、少しずつ「世界を変えてゆく」のだとは思えないのでしょうか。僕はそんなことを思いながら、アンコールの”Imagine“を聞いていました。


 そういえば、7月29 日も、最後は小曽根さんとペコさんの”Sometime I’m Happy”で終わったのでした。津でのコンサートは、その敬愛するお二人の音楽にたっぷりとひたることができて、幸せなんてものじゃなかったです。ほんとうにありがとうございました。


 41歳の新人追っかけは、お二人からしっかりパワーをもらって元気にがんばりますから、これからもよろしくおつきあいいただけたらと思います。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?