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ケーニヒスベルクの皮肉〜カントと平和〜【生誕300年】
今年2024年は、哲学者イマヌエル・カントの生誕300年にあたるため、それを記念した大小さまざまなイベントが計画されています。
中でも大きな国際会議が二つ予定されています。一つは、4月にロシアのカリーニングラードにある、イマヌエル・カントバルト連邦大学で、生誕300年記念国際会議が開かれます。もう一つは、9月にドイツのボン大学でやはり国際会議が開かれる予定です。
なぜ二つ開かれるのでしょうか。それにはカントが生まれ育った街が関係しています。
哲学者イマヌエル・カントは1724年、東プロイセンの首都ケーニヒスベルクに生まれ、生涯のほとんどをその地で過ごしました。
プロイセンは今のドイツで、ケーニヒスベルクという都市はドイツの東の外れ、ドイツとロシアの間のようなところにあります。ケーニヒスベルクはその後歴史的変遷を経て、今はロシア領カリーニングラードという都市になっています。
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カリーニングラードの位置を大雑把な地図で描くとこんな感じ。図の赤いところはロシア領で、その西部、バルト海に面したところにカリーニングラードという都市はあります。現在はロシア領ですが、ロシアから見てもラトビア、リトアニアという国々を飛び越した飛び地になっています。
カントはドイツの哲学者ですが、生まれ育った土地が現在ロシア領になっていることもあり、ロシア側でもカントを称えているのです。
カントは『永遠平和のために』という著書の中で次のように書き記しています。
小国の併合の二律背反
ある小国が大国の外とのつながりを断つような位置にあり、大国にとっては外とのつながりを維持することが必要な場合に、大国はその小国を服従させ、自国に併合する権利はあるだろうか。大国がその原則をあらかじめ公表できないことはすぐにわかる。これを公表したら、小国はそれに先だって他国と連合してしまうか、ほかの大国がこの獲物をめぐって争うようになるからである。だからこの原則を公表したら、それは実行できなくなる。このことはこの原則が不正であること、しかもきわめて不正なものであることを示すものである。
大国が小国を服従させ自国に併合しようとする、これはまさに今ロシアがウクライナに対してやっていることです。このような行為を、カントは「きわめて不正なもの」と厳しく批判しています。
ロシアのカント会議に出席する学者たちは一体何を語るのでしょうか。カントの平和思想をまるまる無視するのでしょうか。カントが知ったら嘆き悲しむことでしょう。
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