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Born a woman

3月8日の今日は国際女性デー。

ちなみに、みつばちの日でもあるらしい。「みつ(3)ばち(8)」の語呂合わせから、全日本はちみつ協同組合と日本養蜂はちみつ協会が制定したとか。

今日ははちみつでなく、女性について少し書いてみようと思う。

私は女性に生まれたが、中学校の制服でスカートを履くまでは冬でも短パンTシャツで過ごす、男勝りといわれるような女の子だった。制服のスカートはずっと慣れることなく、女の子らしい格好をしたからって中身は変わることなく、男の子と喧嘩するような子供だった。男の子になりたいとか女の子が嫌とかでなく、自分らしくいたかっただけである。私の場合にはそこには性別がまだ存在していなかった。

高校はなぜだか女子校に行き、喧嘩する男子がいなくなったので教師を挑発して過ごしていた。職員室に呼ばれることは日常で「また、お前か」と先生たちに呆れられていた。今から考えると、くせ毛だったための「パーマ疑惑」で髪を濡らしてくせ毛を実証するとか、正直くだらないと思える先生たちの「校則」に反撃をしていた部分は大いにあったと思う。髪の毛でいえば、「肩に髪がついてはならない」「前髪は眉毛がみえなければならない」という校則に対して挑戦するかのように当時のシンディーローパーの髪型を真似て登校した(片側だけを思いっきり刈り上げる)。当然、先生たちの度肝を抜いてしまい、「いっそう坊主にするか」「坊主にしたら余計迫力がついてだめだ」などと学校会議が繰り広げられてしまう始末だった(迫力がついて何が悪い)。

性別もそうだが、型にはめられるのは窮屈に感じてしょうがなかった。

カルフォルニアの大学を出て、日本企業に就職した私はローラーブレードで通勤していた。そんな私を警察官が「公道で遊ばないように」と注意してきて「遊んでいません。」と返答をして困らせたりした覚えがある。私は至って真面目に回答をしただけだが。

当時の日本企業では女性は「朝の掃除」から、「お茶汲み」とかお酒の席で「お酒を注ぐ」とか女性特有の「仕事」があった。これは本当に得意ではなかった。なんで女子だけ?と思ったし、「飲みたきゃ、自分で入れろ」と思った。

日本はあの時代からずいぶん変わってきたと思う。

世界はもっと大きく変わりつつある。かつてより女性は活躍する場が増えた。働いているお母さんも多くなった。だけどここはまだ始まりですらない。「女性初」や「女性が」という枕詞が意識から消えた時に初めてスタートラインに立てているのではないだろうか。

国際女性デーの今日。女性として生まれた自分を少し振り返ってみた。

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