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愛は、他人と / 日記 2023.10.12

「愛は他人と」ってキャッチコピー、良くないか?
最近YouTubeとかの広告で、時折見かける。
Tinderの孕む、純度が高いいやらしさを、うまいこと漂わせて、かつ「その通りだね」というフレーズで殴られる。かなりまとまっていて、うつくしいと思っている。
ついでに、広告に出ている有名人たちも、絶妙なラインナップで、なんか笑ってしまう。

愛は他人と、それはそう。結局さ、人間ってすべて、他人だし、完全な愛って、ひとりでは、育みづらいんだろうな。ぐう正論😓
愛の種類はたくさんあるんだけど、おもに「他人」「自身」のどちらかに、向けるものがあり、どちらも必要なんだと思う。だから、みんなもTinderやろう。他人と育む愛も必要なんだぞ。わたしは今、自分を愛する練習中だから、ちょっと遠慮しておきます。

こんな感じで、最近黙々と、日記のように文章を書くくせをつけようとしてみたら、脳みそ活性化しすぎて、眠りがありえないくらい浅くなった。すこし困っている。なぜだか全然、文章が書けなくなっていたんだけど、睡眠不足に由来する体調不良がきっかけだったことを思い出した。
人生の時間、脳が多動か、ぼんやりしてるかの、二択しか、存在しないような気がする。わたしは本当に集中すると、キリのいいところでやめることが、全然できない。アニメもゲームも調べ物も、いくらでも熱中してしまう。数秘術にどハマりしたときも、文章も同じく。眠くなって、体の限界がきて、気絶するまで、黙々とやってしまうのだ。これ、なんなんだろう。人生において、ずっと困っている。
好きなことを我慢するにはどうしたらいい?変なアドレナリンが出るおかげで、メイドを10年も続けたというのは、一説として、ぜったいにあります。
それだけメイドとして店で過ごす時間は好きなんです。ずっとやめたくないから、辞めてないんだと思う。就職とか、学校とか、そんなリアルの都合で辞められるほど、どうでもいい仕事じゃないから。

愛は他人と、他人の部分、もしかして、わたしにとってはお客さんなのかなー。人間らしい愛情を、かなり学ばせていただいている。そりゃ辞めることもできないんだと思う。ポジティブな理由で続けているけど、それ以上に、メイドとして過ごす時間は、体の一部のようになっているのだな。そんな感じ。

ここに投げられたお金を、酒代に使ってしまうような私で、申し訳ありません