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神は見返りを求める / 日記 2023.10.14

昨晩は鍋パした。鍋の残りはカレーうどんに変身した。今日の昼飯。いいよね。カレーうどん。たまに食べるとうまいんだ。
1ヶ月ほど、異常に旺盛な激・食欲に悩んでいたが、ここ数日、朝顔みたいにしぼんでいった。毎日、お腹は空くけど、なにを食べるのがちょうどいいか迷っちゃう。
私は丁寧風の食事を作るのが好きなんだけど、それは食事へのこだわりというよりは、丁寧への憧れによるものだ。丁寧なインテリアを考えるよりは、丁寧な料理をする方が楽しいから、やってるだけ。お手軽な「生活」への達成感のために作る。でも、それだけだな。食欲がしぼんだらしぼんだで、別になにも食べなくても、いいような気がしてきた。つまり、しぼむくらいで、ちょうどいいんだと思う。そもそも、いつだって痩せたいので、1日1食くらいにしたいなー。

今日は、密かに気になっていた「神は見返りを求める」という映画を見た。感想、なんとも言えねー。穏やかなムードで始まったのに、じわじわと嫌な気持ちになってきて、そのコントラストに耐えられなくなり、もう勘弁して……と思い始めたタイミングで経過時間見たら、まだ折り返しくらいで笑ってしまった。さらに嫌な気持ちになれるってこと?!と思ったけど、心苦しさで言えば、折り返しどころではなかった。
見返りを求めない人はいないと思う。無料のものはない。からこそ、私は見返りを求めたいとき、求めなくても問題ないとき、自分の中で線を引くようにしている。有料コンテンツか、そうじゃないか、みたいなことだよな。(まあ大抵は求めていないつもりで暮らしている。)
線引きしないと、自分のしたことが無駄になったときや、踏み躙られたとき、怒りよりも悲しみが先に出てきてしまう。でも、最終的に、なにかを責めたくなる。自分、他人、どちらも責めたくはないから、自衛のために考える。わりと他人に甘いつもりだけど、それでも許せないことは明確に存在する。
私が人に代償を差し出せる保証もないため、みんな自分の意思で行動を決定し、のんびり暮らしてほしいという願いがあります。

あと、作品とは関係ないけど、神様は見返りを求めるものだと思っているよ。なんとなく人間的な存在じゃないかな。アガペーじゃないような気がする。そういう心持ちでいる。怖いから気軽にお参りとかできない。
神社に行くときは、どんな祭神かを調べるし、お参りするときも、迂闊にお願い事とか、しないようにする。私は何を返せるのか、わからないから。こんなことを言っては、元も子もないが、人生はなるようにしかならないよ。見えない存在へ自分の願望を伝えることに意味があるのか、意味があったときにどのようにすればいいのか、あんまりなにもわかっていない。

作品を通して不快な気持ちになるのは、結構好きだということを再確認できてよかったです。

ちなみに昨晩は鍋囲みながら「きさらぎ駅」見ましたよ。ヤバすぎたなー。ああいう映画をたくさん見て、人生楽しいって思いたい。おやすみなさい。

ここに投げられたお金を、酒代に使ってしまうような私で、申し訳ありません