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終わりに(2020花展に寄せて)

色々と長々と書きましたね。いつもそうなのですね。

 近頃、安曇川の平和堂のTSUTAYAで雑誌「花時間」(角川書店刊)の最新号
を開いてみた。すばらしいアレンジメントやブーケの作品の数々。「ああ、
こんなの作る人たちってすごいんだろうな。きっと。」とか素直に感じ入っ
て・・・
でも店を出る瞬間「ひょっとしてもう自分何度もアレに出てるって?」「そうだったんだ。」と。イヤ味でも自負でもなく本当に必死でここまでやって来ただけなので・・・
「フラワーアーティスト」とか「インストラクター」ってどうもしっくりこない呼ばれ方。「花屋」が一番良いかな?って思う。(かのレーシングライダーの平忠彦が自分のことをいつも「運転手」って言ってたのを思い出す。)

 これからも一花屋として花と向かい合って行きたい。

 「あいみょん」の最新アルバムの一曲目の「黄昏にバカ話をしたあの日を思
い出す時を」っていう曲はmidori-yaっぽい人生観かなって・・・思う。
(一番好きな彼女の曲は「貴方解剖純愛歌~死ね~」かな)

 こんなmidori-yaのような生き方を他人に、特に後に続く田舎移住者の皆
さんには決してすすめる気はありませんよ。

 よく「独立独歩でやって来たお宅はえらい。今の若いモンは甘えすぎだ。」
という人(特に年配者)がおられますが、皆が皆midori-yaのような野放図
さと開き直りと根性とダイハードさを持てるとも思わないし、又その必要も
ないと、又それが良いとも思わない。

なので、私たちは近頃人気のいわゆる「自己責任論」は大嫌い。

 midori-yaは好き好んでか?綱わたりしてギリギリでしたたかに生きてきま
したよ。でもこんなのウチだけでいいと思う。
たまたま今までセーフだっただけのこと。

例のあいみょんの「おいしいパスタがあると聞いて」の2曲目の「ハルノヒ」にうたわれているようなもっとフツーの穏やかで安心が欲しくて平凡な日常がいいなって思うフツーの人たちが安心して、まっとうに働けばまっとうに生きていける(別に枝野が好きな訳ではない!)世の中になれば、否、して行かなければと思う。
世の中は多くの「フツー」の人で出来ているんだから。

そんな人たちの毎日の暮らしの中に花が咲くように。と思う。
                            midori-ya

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