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midori-yaのこれまで

花というのは、花だけが「いきなり」咲くのではありません。茎があり根が
ありそして葉が、みどりがあるからこそその上に花が産まれるのです。大切
なのはこの全体像です。花だけを愛で賞賛するのはおろかです。なので「華
道」でなく「花道」なのです。

 その背後にある支えているもの、下積みになっているもの、自らはきらびや
かでなくとも花の為に精魂送っているものの存在を忘れてはなりません。人
の世も社会もそうだと思うのです。

それゆえに私たちはmidori-yaという屋号の「花屋」になったのです。
開業の頃から私たちは、既にこの国だけでなく今の世界の大半を占めるいわ
ゆる「成長経済」を基本にした世の中のあり方が早晩行き詰るのは必然だと
感じて、その事をことあるごとにこんな「たより」のようなものに記してお
客さん方にも伝えてきました。(一風変な花屋だったのです。)当初から文
字通り「食べて」いけるだけのギリギリの収入さえ得られれば、それ以上は
決して増収や拡大を行わないことを「社是(?)」としてmidori-yaを経
営してきました。

 「そんなものが経営と言えるのか?」その通りです。
常に私たちは「食うか食わずか」の暮らしをしてきました。月収5万円 位で
一家3人が暮らせるものですよ。(家賃さえいらなければ)実は。
私たちは常に日常を「不必要な収入は作り出さない。」「不必要な出費はし
ない。」ことを基本に日々の暮らしそのものが「社会改革運動」なのだとい
う自覚の下に生活してきました。

つまり、少しでも今の大量生産→大量流通→大量消費→大量廃棄の経済そして
それによる富の一極集中の社会的構造に加担しないことを意図して日常を営んできました。ファッションとしての「エコ」とかではなくて・・・

そんな中、懸命に生き当初の目的(田舎で花の教室と小売り、ギャラリーを営んで自活する)は達せられてきたようでした。少しは出世もしました。「人生の楽園」なる番組にも出演してしまったりして、大きな疑問も感じました。

そんな花屋の仕事の中である時ふと私たちが注文した1つは信州から1つはオランダから空輸されて箱に入ってやって来た花を取り出した時、「自分たちは一体何と言うことをやっているのだろう。」と大きな疑問を感じました。

私たちは高島でのmidori-yaを閉め和歌山県の山中の超僻地へ農地を求め移住
し、自然農を実践しながら自給度を高めた暮らしをはじめました。水道もない街灯もない・・・山奥の谷間。小さな町へ出てもコンビニもケータイSHOPもない・・・そんな所でした。川での洗濯、セルフビルドの家づくり、上下水つけ・・・まあどんなことが起こっても生きていける度胸と開き直りは身につきましたよ。そして『人間も自然の中の「生き物」の一種なのだ』という今、人類にとって一番大切な理解しなくてはならないことが体感できた熊野の山中での6年間でした。(まあ言ってみれば文化大革命における「下放」を自分たちから主体的に実践していった訳です。)

再びこの高島へ帰ってきてからもこんな思いは不変です。これからも生花の美しさ、生命感を皆さんと共有共感しながら、自然の大切さそして命を継いでいくことの意義を確かめて行きたいと存じます。

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