4-26 カフェインが聞いている

近頃、すべての気力がない。記憶もないので忘れっぽい。いろいろな人と関われるほどテンションが高い週があったと思ったら、疲れきって動けない週がある。躁鬱なんですか?カウンセリングはすっぽかしてから一回も行けていないし、けれど身体は動かさないと自分にも他人にも迷惑がかかるし。ずっと、動いている。動けているから大丈夫と思っているうちが危ないなんていうのはよく聞くけど、動けているかどうかなんて関係なく動かなきゃいけないんだ。お金もないし時間もない。

相変わらず落ち着かないぐらい文句を言われている。なぜ自分の家なのにそこまでカッチリと動かなきゃいけないんだ?なぜ?私にあるデメリットはあなたから文句を言われることといつか追い出される恐怖だけで、結局のところそちらの都合でしかない。金に響くからだろ?としか思えない。規定を引っ張ってきてくれたほうがよほどましだ。いつも理由になっていない。早くここから出たい。疲れた。ただでさえ疲れているのに。説明なんて伝わっていないんだろうな。じゃないとあんな発言は出ないよ。

色々な人からくる予定決めの連絡に返せないでいる。何も予定を入れたくない。ルーティンをこなすだけで精一杯だ。起きて、研究室に行って、授業に出て、研究室によって、帰って、読書と課題をする。起きて、バイトに行って、帰って、読書と課題をする。それだけじゃだめなのかよ。だめなんだろうな。やらなきゃいけないことはたくさんある。ルーティン外で会いたいと望んでくれる人がいる。

だけれど、ルーティン外のことができなくなっているから、色々と忘れてしまう。誰かと何かをするだとか、誰かに何かを渡すだとか、何かを持っていこうだとか、そういう考えは波に飲まれて消えてしまう。忘れっぽいというか、考える余裕がない。埋没していいからしばらくは機械的に動きたいとさえ望んでしまう。実存主義者になれなかった末路だ。

変わってしまった、新しくなってしまった僕が、また埋没してしまった。Vorlaufende Entshlossenheitが、今やVerlossenheitにbestimmen。standig Gewissen-haben-wollenだけれど、Granzsituationに陥らないように必死で生きている。Sein zum Todeを考えずに、Nichtigが眼前に来ている。しかし、それはgleichかもしれない。

ずっとこの調子だ。Anrufはまだか?

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