「楽しくなくなりたくない」で守ってた

『僕は芸術家、作家、音楽家として大成すること、成功するなんてことを、そもそもはなから求めてません。むしろどうでもいいと思ってます。
人からの評価は浮き沈みが必ずありますし、高い値段で売れたとしても、暴落したりします。評価も値段も相対的なことですから、一喜一憂するのは疲れます。疲れることは僕はNGなので関わりません。
一人で作品を作るのは疲れることでもあります。そういう疲れは奨励しています。人との関係で、色々思い煩う疲れみたいなものを、心地よく除去しています。』

坂口恭平さん『継続するコツ』より。

私のことを言ってるのかと思った。
小さい頃からサッカーとか音楽をやってきたけど、それで食っていきたいかと聞かれたときに、全く思ったことがなかったのを思い出した。なにそれ、という感じで、プロになることに興味がなかった。
まあその程度のレベルだったのだけど、気持ちとしても、一度も過ぎったことがなかった。理由ははっきりしていて、楽しくなくなりそうだから。小学生のときにこんな確信めいたものを感じていた。
バーテンダーをしていたときも、自分の店を持って成功したいだとか、一番になりたいだとか思ったことはないし、遊びの場として家に作れたらいいなとはもっと前からずっと思ってるけど、それは成功というのとはちょっと違うと思う。
ガラスをやっていたときもそうで、代々木公園で出会った作家さんにワークショップをしてもらったときには、「これだ」と、自分がずっと好きでやっていくんだろうな、という運命的な出会いを感じた。
そして結婚とかを経て、機材を揃えてやり始めてからも、せかさないでと夫にお願いしていた。ビジネスにつなげようとしないでほしいと。
とにかく楽しくなくなりたくなかった。
せっかく見つけて好きでやってるのだから、楽しくなくなっちゃったら好きでいられなくなる。
高校生のときに、好きな着メロを目覚ましの音に設定していて、毎朝その音で起こされるたびに好きじゃなくなってしまったことがある。
「起きなきゃ」がくっついてしまったからだ。

私は好きなものに「やらなきゃ」がくっついてしまうと、楽しむことから遠ざかってしまう。義務感を感じると楽しめなくなって、続かない。

ガラスはいろいろあって3年やってない。整体に集中したくて、またそのうちやりたくなるだろうと思っていた。
ただ今年はやりたくてたまらなけどできないでいたので、また年明けからできるように準備している。

整体についても同じで、これをビジネスとして成功したいと思ったことはない。
ただ体のことで悩んでるその人が喜んでくれることが嬉しい。その人の悩みを解決するプロセスが楽しい。
これがお金のことを考えると、とたんに「やらなきゃ」だらけになる。
ただその活動を続けるためにはまず生活するためのお金が必要で、というのもわかる。
じゃあ月に何人整体すればいくらになって、そのために集客したりこんなサービス作ったり、それが思ったようにならないとかで一喜一憂するのは疲れる。
整体するのは疲れることでもある。こういう疲れは奨励している。
人が関係しているけど、私にとってはこれはやりたいことなので、煩わしいのはその人との関わりにお金が絡むことで、そういう疲れを除去したい。
義務感で、せっかくの好きなことを楽しめなくなりたくない。

子どもが起きてきたので今日はここまで。
『疲れることはNGなので関わりません』とはっきり言ってくれて気持ちよかった。そういう人もいるんだよね、と安心します。

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