見出し画像

10月18日、津野米咲さん

北海道行きの飛行機に揺られている2023年10月18日。

JALのコンソメスープが本当に美味い。
ガブガブ浴びるように飲みたい。
そんな思いが先走って、舌を思いっきり火傷した。
これはしばらく後を引きそうだ。

今日は10月18日。
津野米咲さんの命日。

2020年のその日、私は某CD販売店で働いていて、
CDの販売を通して、アーティストとリスナーを近づけるような仕事をしたいんだ!と熱い気持ちを持っていたのだけど
この仕事じゃ、何もできないんだと絶望をした。

この仕事は川上から川下にCDを届ける一方通行的なつながりであって
リスナーやファンの熱い思いを、アーティストに遡上させることはできないと知った。

こうやって、何もできないまま、
何のつながりも作れないまま、
アーティストがいなくなっていくんだと現実を見た。




決して特別、津野米咲さんの仕事や、赤い公園を熱心に応援していたという訳ではなかった。

だけど、佐藤千明さんの歌声にエネルギーをもらったことは幾度となくあり、「NOW ON AIR」の力強さに何度救われたことか。
この音楽が世界中に鳴り響く瞬間を見たいと思わされた作品だった。

ボーカルがアイドルネッサンスの石野理子さんになった衝撃も鮮明に。
石野さんになってからの一作目「消えない」。


仕事終わりの品川駅で京急から山手に乗り換えをしながら、ちょっとした不安とともに耳に流し込んで、ビックリしたことが懐かしい。
不安に感じて損をした。不安に思うまでもなかった。
石野理子は最強だし、石野理子がいる赤い公園は最強だった。

だけど、特別ファンだと自覚したことはなかった。
だから、中野サンプラザでの解散ライブには行かなかった。
ファンの方に申し訳なくて、手が伸びないままだった。



「夜の公園」に命を救われた。紛れもなく。

地面と天井の区別がつかなくなるぐらい泣きじゃくっていたあの夜、私のそばにいてくれたのはこの音楽だけだった。
夜の公園で吐きそうになるぐらい嗚咽して、終電を逃して1時間強、歩いて帰ったあの夜にも、意味があったと思い込ませてくれた。

この作品に出会っていなかったら、きっと多分恐らく。

あなたたちが作った作品で、津野米咲さんが作った音楽で、私は今日も生きている。
生きようと思うことができている。
ありがとう。本当にありがとう。



そんな感謝の気持ちが、私はアーティストには当たり前のように届いているものなのだと思い込んでいた。
アーティストの人たちなんて、そんな言葉聞き飽きてるでしょう、なんて思っていた。

案外、そんなことはないんだってね。
コロナ禍で学んだことの一つ。
サカナクション山口一郎さんのインスタライブで、それを知った。

もし、あなたたちが人生をかけてつくり出した音楽が
どこかの誰かの人生と重なって、誰かを助けているって伝わっていたら、何か未来は変わっていたのだろうか。

どんな景色を観て、どんな気温や匂いがしていて
何を感じながらその音楽を聴いているのか。
それが一人一人の人生単位で、見えるようになっていたら、
もし、もし、もし。


あなたの想いがこもった作品のおかげで私は息しているのに、
私の思いはあなたには届かず、Spotifyの再生回数を増やすだけで終わったらしい。



私は将来、いつか、教員になることを夢見ている。
夢見ている…?
いや、なんかこの言い方はしっくり来ない。

教員免許はもう持っていて、あとは試験を受けるだけで
いつ、今の生活で満足感と自信を得るかというだけの問題。
(まあこの話はまたいつか、ゆっくり)

ただ最低限、2020年10月18日に抱いてしまったこの絶望をなんとか対処しないことには、私は教員になれないのだと思う。

アーティストとリスナーを結びつけるものが何かを考えたい。
きっとそこには再生回数でもリリース枚数でもシェア回数でもなくて、1人1人の生活が転がっていて、息遣いが聞こえてくるはずだから。

それを探す。それが私のやるべきこと。



津野米咲さんかもらったもの、なんてことを口にしてしまうのは大変失礼なことなのだけれども。


少なくとも、あの日。
人生が変わった人が1人、ここにいます。

ってだけの話。



冬物をクリーニングに出していたから、薄着で来てしまった北海道。
さすがに寒いかもしれない。

今回、北海道に来たのはもちろん仕事。
去年の10月ぶりの、2回目の北海道。

前回の北海道は不思議な出会いがあったな。


さあ、2023年10月。
私に何を与えてくれよう。私は何を残せよう。

風邪だけはひかないように。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?