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ずとまよが刺さるのは、孤独な夜。


ずっと真夜中でいいのに。が、活動5周年。
おめでとうございます。おめでとうございます。


ずとまよのライブに行ったり配信ライブを通して、歌詞やメロディと向き合っていると、いつも「孤独」を感じる。
そして、その「孤独」が私を見てくれているし、私もその「孤独」を見つめている感覚になる。

不思議だ。不思議。

一人で生きていることを強く知らされると同時に、
あなたも一人で生きているんですね、ということに気づかされる瞬間でもある。


「この人は私のために歌ってくれているんだ!!」
そう感じるのは、きっと勘違いなんだろうな。
愛が強いが故に、理想が叶ったと都合よく思い込む。
けど、そう思い込むことで自分を自分のまま保とうとする時もあって。


「あの夜の私だ」って思うことがある。







色々なファンの形があり、どれに優劣があるわけでないのだけど。

私はずとまよの音楽が孤独の夜に響くことが多く、
この感覚を誰かとシェアしたいと思うことはない。
というより、分かられてたまるか、という気持ちになる。


ファン同士でつながりたいとも、仲間を作りたいとも思わない。
ただ、ただ、ずとまよの音楽が確かに、今、ここで生きている私に届いて、私の身体に入り込んで、鳴り続けていますよ、ということなら発信したい。

何万、何億再生よりも、ここで確かに鳴っている1再生の人生を残していきたい。


星野源さんのドームツアーに行った時に、
「星野源の音楽に救われた人は、この会場の数%なんだろうな」という変な感覚があって、
みんなは何のためにドームに来ているんだろうってずっと疑問のまま過ごしていたことがあった。
(商業的な話はちょっと横に置いておいて)



きっと、「つながりたい」という気持ちは、スマホやSNSのせいで解像度が低いまま、安易に持つことができるようになった欲望の1つだと思うのだけど、
私はつながることで焦ったり、嫉妬心を抱いている音楽好きよりも、
ただ、ただ、孤独に過ごす夜のおともに音楽を携えている人が好きなのだ。


ずとまよの音楽が、ACAねさんの言葉が、静かに心の中に浸み込んでいく。


孤独で、寂しくて、だけど今夜もずとまよを聴いて生きているあなた。
私もだよ。今日もお疲れ様。


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