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28歳、2月末日、何を思う。

先日、28歳になりました、緑のパンダ。

去年の27歳の誕生日から全てのSNSで、登録していた自分の誕生日を消してみた。

もともと私は人の誕生日が大好きで
Facebookから毎朝通知が来る誰かの誕生日のお知らせをみて、
2人だけしか知らないようなエピソードを添えて、お祝いのメッセージを送ることをしていたのだけど
次第に思うようになるわけです。

Facebookにお知らせをされることで、この人の誕生日を私は認識しているわけだが
私はこの人の誕生日を覚えているわけではない。
こんな状態でのお祝いの言葉に、どんな意味があるのか。
リマインドされなきゃ知らないような人の誕生日のお祝いって、誰が喜ぶのか。
そんな薄い言葉が飛び交う関係性、それは友だちなのかい?

そんなことを考えるようになって、誕生日の通知をオフにした。
そして昨年からは自分の誕生日も消した。

"友だち"の数の多さが、その人の価値だと思っていた時期はとうの昔。
だんだん、数の多さと本質的な価値はイコールではないことに気がついた。音楽でも一緒だ。

だから、リマインドされなきゃもらえない「おめでとう」なら、いらないです、って思うようになりました。

自分の口から出る言葉も、
誰かの口から出る言葉も、
行き場がない、宙に浮く言葉はあんまり見たくない。




今の仕事に就いて丸2年も経ち、3年目に突入。
「3年いたらすごい」なんて言われる我が職場。

だんだん、マネジメントする立場になってきた。
あいも変わらず終電帰りの日々、そりゃ眠い。

だけど、最近、眠さがなくならない。
それはなぜだろう。
何が変わってきたのだろう。

「社会人やっぱり向いてないよなー」
って言葉の輪郭がだんだんハッキリしてきた気がする。

向いてない感覚はあって、だけど、やってみないと分からないからやってみている。
が、しかし、多分、やっぱり、本当に、向いてないんだろうなと感じる。

何より、他人と過ごしていくことへのストレスが思っていたよりも強く感じる人間らしいのだ私は。

あっちの顔を立て、こっちの顔を立て。
社内の暗黙の了解を学び、察する空気の種類が日々増えていく。
恐らく、会社員が向いてないのでも、社会人が向いてないのでもなく。
組織の中で生きていくことが向いていないらしい。

あちこちの空気を読むことが、私は得意な方だと思っていた。
人の顔色をうまく読み取って、その人が求めていることを進んで提供していくことが得意だと思っていた。
思ってたのにな。
こんなにストレスを感じる人間だったなんて思わなかった。


社長なり、上司なり、レイヤーが上の人たちの言葉に対して、
苦笑いしながら頷いている他の人たちを見ていたり、
そうですね、なんて行き場のない言葉を発している自分がいまいちよく分からない。
気持ち悪いとかじゃないんだ、よく分からない。

この人はいま何をしているんだろう?って考え始めてしまう。

「何者かになりたかった」という感覚でもないんだなって日々日々感じる。そうじゃない。
「自分」がだんだん意味のない言葉を発したり、頭が軽いまま頷いてる時間は、私の人生にとって意味のある時間なのだろうかと思うようになってきた。


この状況を数年間、数十年間繰り返していった先の未来で「強くなったな」っていう自分を見たくない。
その忍耐力に意味があるのだろうか。
ハラスメントを受けてるわけではない。
が、しかし、私はいますごく苦しい。
それを耐えた未来に、「頑張ってよかったな」って言える未来が来てほしくないと思ってしまう。


色んな人と顔を合わせて付き合っていくことも、私の生きがいだと思っていた。
人との時間が何よりも好きだと思っていた。
多分それは違って、好きな人と過ごしたいだけだったんだ。
大切にしたい対象に対して、命をかけられるだけだった。


変に社会性を身につけてしまったがために、コミュニケーションが大好きだと勘違いしていたが
そう思えばいつだって私は「なんでこの人には私の考えが伝わらないんだろう」って思っていたことを思い出した。


こうなってしまうと、転職をして会社の環境が変わったとて、私がストレスを感じることは変わらないのだろうなと軽く絶望をしている2月。


4年に一度の2月末日。
本日は末日、今日は雨。


4年後の2月末日。何をしているのか。
8年後の2/29は?
12年後の2/29は?


苦手な組織社会のなかで、耐えてえらいね。
いっぱい頑張って、適応してえらいね。

未来で褒められたってそれは賞賛じゃなくて
数十年間受け続けた傷を塞いでくれただけだ。

私はこれからも勝手に傷を受けながら生き続け、
傷を受けたのに偉いねと褒められ、
その忍耐力を評価され。

いてもいなくても誰にも、何にも影響のない人生を過ごしていくのか。

それって生きている意味はあるのだろうか。


希死念慮があるわけではない。
死なないよ。人生っていうゲームは面白いからね。

だけど、28歳になった2024年の2月。
いま考えていることは、ここからどうやって人生を変えていってみようか、っていう話。

どうせなら、今の私からじゃ想像もできないような未来を作っていってみようか。
どうせ死ぬんだ。

今から馬鹿みたいな夢を見たって、いいだろ。

4年に一度の2月末日。
ここから始めていくよ。

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