世人のすなるnoteといふものを我もしてみむとてするなり

 変わった格好の付け方をしたけれど、要はブログのようなものを書いてみようかな、と思ったわけだ。発信、というと少し違うような気がするけれど、ある程度自由に書ける場所が欲しいな、と。

 日頃とりとめもなく、あるいはとめどなく考えているようなこと。世界や世間の情報に触れて励起させられてしまった感情。心の底の方で淀んでいる、言語化しにくい魑魅魍魎じみたものたち。そうしたものたちを吐き出し、あるいは書きながら、整理したり言葉という概念を与えて明瞭化させたりする、そういう場を、どうやら私は必要としているらしい。

 私事になるけれど、今の職場に身を置くようになってから2年、新型コロナウィルスが流行し始めてからも2年、とある転機が1年半前で、つまりおおむね現状のような生活になってからそのくらい経つ。

 学生をやっていた頃は、研究分野のこともあって文章として何かを出力する機会にはかなり恵まれていたと思う。
 もちろん、そうしたレポートやらレジュメやらを書くことを当時の私が渇望し歓迎していたのかと言えば、そこまでではなく。研究にまつわる文書作成は、嫌悪するというほどではないけれど四六時中やりたい類のものでもなく、せずに済むならしなかったし、寝ているだけで単位が取れるならその方が良かった。課題の内容そのものは吐き気を催すようなものもあったし、興味のない分野は適当に済ませた。
 ただ、書くということは割合自然に日常の中にあって、ごく当たり前のことだった。当時の自分が自身をどう見ていたかは、今となっては忘れてしまったけれど。現在の私から振り返ってみれば、そういうふうに見える。

 その後大学を去っても、前職まではある程度書くということが身近にあった。それがこの1年半はとんと書いていない。呼吸をしなくなったという程までではないけれど、およそ生活に違和感なく溶け込んでいたものがふっつりと消え失せてしまった。考えてみれば奇妙なことだし、いくらかの悪影響を及ぼすような、人生におけるバランスを損なう類のできごとのような気がする。じゃあ、何か書いたら良い。

 発信というならTwitterを長いこと──フォロワー諸兄姉ほどではないにせよ──使っている。ただ、Twitterの投稿は短文だけ。リプツリーを形成すれば長文も書けはするけれど、相手がどれか1ツイートしか見なかったとしたら、容易に誤解されてしまう。
 インフルエンサーと呼ばれる人たちに比べればフォロー数もフォロワー数もずっと少ないから、炎上の心配は杞憂と思われるかも知れないが、時に勢いよく燃え上がる様を見るに、そのリスクを危惧せずにはいられない。それに連投はフォロワーのTLを埋めるから、あまりやりたくはない。
 それから、なるべくならネガティブなツイートはしたくないというのもある。必ずしもポジティブではないことをTLにつらつらと書き連ねるのは、どうにも気が引ける。そう言いつつ書いてしまうときもあるけれど。
 なんてごねていたら、そんなに考えず自分の好きなように使えば良いじゃないかと言われそうだ。そのあたりについては稿を改めて書きたい。

 要は「文字数制限なく、閲覧するにはワンクッション必要で、ある程度自由に書ける環境が欲しかった」ということになる。ぐだぐだと書き連ねてしまったのは、書き始めるにあたって理由付けという名の言い訳をしておきたかっただけ。
 そういうわけで、この場所で書き始めることにした。気が向けばお付き合いください。

 とはいえ話題はあれこれつまみ食いだろうし、専門家でもないし、妄想と間違いばっかりがあふれたような文章になるに違いない。合わないと思ったならいつでもすぐに、そっとブラウザバックして頂ければ幸いだ。

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