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「うた」ってなんだろう?


「うたを科学する」の北山さんの発表を中心としたまとめログです。授業の前に「自分」と「うた」の説明がありました。

例えば院生として一緒に講義を受けてたり、北山先生の授業を受講していたりする人は、北山さんの同級生だったり、生徒だったりします。その人は歌手としての北山さんを知らないし、ゴスペラーズのファンは学生や先生としての北山さんを知らない。そこで、北山さんの研究している「うた」の説明から授業は始まります。


北山さんらしい、不思議な角度からお話はスタート。まずは自転車の話から始まりました。

北山先生「自転車ってありますね。藪から棒ですが(笑)」

自転車に乗れる人って、乗れたとしてもだいたいどういう順番でハンドルを握って、サドルをまたぐのか考えていますか?ペダルを踏みこんだら車輪が回りますよね。でも、どういう仕組みで自転車が前に進むのか、構造的なしくみをしっかり部品単位で説明できる人ってほとんどいないけれど、人は(自転車に)乗れるんですよね。

自転車ってどうして乗れるんでしょう。それについて、自転車の部品を、例えばバラバラにして、自転車が前に進む仕組みの正解を出してもいいし、自転車を前にしてその場で議論してもいい。僕は自転車を分解してもいいと思っていて。これがスポーク、これがチェーン。そのあとに組み立てなおして、自転車に戻したときに乗り味が変わると思いませんか?

想像するに、僕は分解することで変わると思うんです。

これを「うた」でもしよう。それが「うた」の授業です。うたを分解する。分解することで理解が進む。「うた」を分解して、構造を理解しようそういうことをやっています。もともと学長から授業を持ちなさいって言われたときに、「うた」の構造を分解することやろうと思って。授業を持って一番驚いたことは

授業をやることによって、僕自身が変わったんですよね。

僕はあの…蛮勇と言うか、いいなと思うことは、すぐ自分のステージに応用していくんです。自覚的には非常に成果を得られた。(授業をすることで)学生たちのピュアな疑問に触れて、テーマが立体化していって、慶応関連の方には非常になじみのある、半学半教がおきたんです。

●伝わることは7割減る。

僕は、18,9歳の頃の自分が嫌いなんですよね。(あの頃から)自分の頭の中に非常に美しいモデルや正しいと信じられる構造があって。いわゆる、人間として「正しいこと」がハッキリありました。でも、いっくら説明してもほかの人には全然通じてない。「なんでこんなことも分からないの?」って思っている節もありましたね。

今なら、当たり前ですが僕が正しいわけじゃないってわかるんですよ。

●情報の目減り度

(前の話とつながってきますので、しばらく読んでください)

この写真を見てください。(画面には茶碗に盛られたホカホカごはんの写真一覧)「ごはん」です。ごはんと検索して出た結果がこのスライドです。どれもごはんで間違いないですよね。次にこれ(炊き込みご飯とかはらこ飯とか、焼き魚定食とか)これは「おいしいごはん」の検索結果です。どの写真も間違いない。でも「昨日のごはんはね、おいしかったんだ」といった時の、僕の食べた「ごはん」には当たらないわけです。

僕は日本語という道具で情報を伝えようとしているけれど、必ず情報は失われる。そこで、聞く方は解釈するわけですけれど、僕から70点になった記号で並べても情報量は1/4以下なるんですね。これで伝わってないという場合、少なくとも僕の伝え方がまずかったし、それはコミュニケーションとして伝わらない方法なんですよね。

情報は目減りすることを分かってないと、コミュニケーションは成り立ちません。

●カラオケに来る人は矢が3本刺さった状態

カラオケに行って、好きな歌を歌う。心に矢が刺さっている状態と言えます。どういうことかというと、1本目はこの歌いいな。2本目はこの歌好きだな。3本目に歌いたいな。この3本の矢が刺さったら歌いたくなる。これって、あんまりいい表現じゃないかもしれませんが。矢ガモなんです。カラオケに来る人は。サビまではもにょもにょしていて、サビになったら大きな声になる人いますよね。あの人にはサビの矢が刺さっているんですよね。

(歌うとき)自分ならどういう矢が刺したいかを考えています。

自分のイメージを形にするためにどうするかということです。歌を聴くということは、その人、つまり聴き手の肉体や感性が関わってくるんですね。その人の経験や人生も関係している。「うた」って譜面を歌って、譜面を聴いているわけではないですからね。

●世界的には音楽は科学の中にある

「うたラボ」とは?なんですが、歌を学術的に多面で理解するというような集まりです。(というような説明だったと思う)そこには、カラオケの採点番組で満点を連発して、優勝した歌のうまい人が居たりするんですが、彼女が「100点とるときの歌と、ライブの歌い方って全然違うんです。それを研究したい」と言って研究しています。他にも音楽の歴史を学んでいる人や、オペラ歌唱の審査結果と音響解析結果の相関関係を知りたい人がいたり。

世界的には歌というか音楽は科学の中にあるよということが、実感できる場所とも言えますね。

●なんで院生になったの?

僕、学部卒業するときに論文書いてなくて。論文を書く時の大変さを僕は知らないんですよ。査読があって、突き返されて、また出して、また頭を悩まして…。それをやってないんです。それをやらずしていいのか?お客様みたいにやらないで、いるのはちょっと違うなと思って大学院受験したんですね。やっぱりね、なんで?って言われた。ゴスペラーズのメンバーからも学生からも。「な、なんで?今更何を勉強するんだ?」って言われました。

でも、論文って書けるようになると読み方も変わるだろうから。大学院を受験して受かって、大学院生になったんですけど後悔ちょっと…うん。

やっぱりゴスペラーズ第一ですから!できるだけオフの時間を最大限使って院生してるんですが、自分の講座もあり、教員として頑張らなくっちゃなので。しかもこの春夏はツアーもあって、ほんとうに大変だったんです(小声)

●学生にならなかったらできなかったこと

学生って学ぶのが仕事だから。学生同士学ぶと、作業を分散するのは当たり前ですよね。あれやっといてじゃない関係が心地よいです。しかも僕はゴスペラーズだったりするので、歌の研究をするなら歌手も紹介できるし。その良い相互関係が教える時も学ぶ時もあるんですよね。

さらに、専門以外にも卒業するための単位をとらなくてはならなくて。その中の一つが言語特殊。特殊な先生が特殊なことを言う授業なんですよ。僕としては発音の授業に出たときに驚愕して。長年の謎が解けたことがありました。

さしすせその発音をMRIで撮影した動画を見せてもらって。これみたときにめちゃくちゃドッキリしたんですね。苦手な子音が僕にはあるんです。この動画をみたら、僕の発音している動きと別物だったんです。

さしすせそ言ってみてください。舌を使って発音してます?僕、「S」が苦手なんですけど、発音するときに歯を使っていたんです。「さ」の発音にすごく負担がかかっていたんですね。

その日、その瞬間から発音には変化がありました。(舌を使うことでスムーズに発音できるようになったそうです)ここ数年で最も大きい学び。川原先生、相当に興味があるぞ。この人とは長い付き合いをお願いしたいと思いました。話をしていて一番強烈だったのは、歌い始めたのは二十歳なので、28年、9年目になるんですが、僕の頭でっかちな仮説をぶつけると「それは音声学的にはこういうことです」って、言われて。「えぐいな受け止め力がっ!」て本当にびっくりしたけど、同じく感動もしました。その学術的な受け止め方はこちらの世界では当たり前のことですって言われたんですよ。そんときに「ただいまっ!」てなったんですね。僕の仮説は間違ってなかった。

そこから、ぜひ、「うた」と音声、言語学を教えてほしいし、一緒にやりたい!と思って。

それでラブコールしたんです。


川原繁先生とは?
音声学者。アメリカで人間が音をどのように扱っているかなどで教鞭をとる。音声・音韻の実験を行い、2013年に帰国。フリースタイルダンジョンやチコちゃんに叱られるなどテレビにも出演。著書に『ビジュアル音声学』『「あ」は「い」より大きい!?』『音とことばのふしぎな世界』など。


(ここで川原先生とのツーショット写真を披露)
嬉しそうでしょ。うれしかったんです(照

●発音とリズムの解像度

「御飯」これだと言葉としてひとつの塊ですよね?
では、「ごはん」。「ごはん」とひらがなにすると3つに音が分かれますよね?

アルファベットにするとGOHANになる。分解することでトランジション、変化のスピードが感じられます。ジーは伸ばせる。※テイクバック止めなきゃいけない。子音のテイクバックがあって、子音が発音されて、フォロースルーで子音に変化していく。エイチは伸ばせる。トランジションの沼が深い。考えていた仮説がどうやらその方向で間違ってなさそうだぞと。

※図解がありました。ちょっと複雑なので下記に解説を入れます。

・発音を4つに分解する?

テイクバック、インパクト、リリース、フォロースルー。テニスやゴルフなど「振る」「当てる」という動きのあるスポーツで使われる動きを表す言葉です。北山さんのジーで伸ばして止めるのは、ちょうどラケットを振り上げ、ボールに当て、振りぬく動きと口の中の動きと同じだといえるのでは?という説明をされていました。

●一本締めと同時の実験


ここで、それではみなさんでやってみましょうと、北山先生から一本締めへのお誘いがありました。

北山先生「それでは、お手を拝借、よーおっ」\パン/

すごくないですか?同時に手をたたく。ぱちんという。同時に音を出すことができました。

(ゴスペラーズにおいて)本当に5人が同時に横並びで音を出した場合、同時に鳴ったよって観測できる人が居ないんです。アカペラの人って歌うとき、半円になりますよね。同じ距離に立たないと音は同時に聞けないんです。

※図説で、〇が5つ横に並んだものがホワイトボードに描かれます。
〇〇〇〇〇

横に並んでちゃ、実は同じ音は聞けないんですね。じゃぁ僕たちどうやって歌ってんの?ってことなんですよ。

ざっくり書きますね。よーおってパンって鳴りました。

※一番端の〇から音が出て、逆サイドに届くようなイメージです。
〇〇〇〇\〇届いたよ/

「よ」って言ったよ。これを聞いた時点で「パン」がくるなって予想できますよね。「よーっ」って耳に届きます。「よ」が伸びてるなってわかって、それから「お」が来るんだなってわかる。

「よーっ」を聞いたら、だいたいここで、「お」がくるって脳が計算しているんですよね。それでタイミングが合うように筋肉を動かしてるんです。で、結果手が\パン/と鳴るわけなんです。

音を発するために必要な時間。つまり、音楽をするときには、つねに未来にいなければいけない。つねに予測して未来に向かっていなくては音を合わせられないんですよね。

アスリートは人間の反応速度を超えて反応している。音を合わせるというのは、未来のことを予測して予測モデルで音を出す。つまり音を出す行為は過去のことになるんです。過去のことを聞くことで、未来のことを予想する。

時間軸的に未来と過去を調整するのが音楽と言えます。同時というのは同時におきてなくて、同時というのは非常に厳密には存在しえないんですよね。

例えば…オーケストラのパーカッションは普通に叩くとめちゃくちゃ遅いって言われるんですね。リズムは先行して未来の世界にいてないとだめ。一流の人になると耳を外して、指揮者のところにおいて演奏している人もいます。言い換えると、人によっては八分音符先くらいの未来で演奏していたりするんですよ。

●同時をどう扱うか問題

実際、同時に演奏したり歌うって、どれくらい修正されていて実現しているのか。どこまであやふやのままで実現しているのか。それを紐解いていこう。という話です。

前述の自転車の話のように、物事を分解するクセはいろんな分野で役立ちます。

テニスと囲碁が僕は趣味なんですが、囲碁の最強手は最高手とは限らない。テニスも同じような側面があります。囲碁の勉強をしていると、テニスをするときに生きてくる。逆もまた真なり。生業としていること以外でも分解、構築することによって、すぐ自分の歌に帰ってくることがあります。自分の生業スキルを上げるために、他の事でできることもある。

僕にとって「うた」の活動はそういった側面があります。

とまぁここまでが僕の自己紹介でこれからは座談会です。

先生と先生と先生の座談会

ここからは、鼎談になります。あまり専門的なことは分からない部分もあったので、かなり短くまとめています。ご容赦ください。

●音の解像度

川原先生/テイクバック、インパクト、リリース、フォロースルー。この考え方で発音を理解しているのがすごいなぁと最初思いました。でも、発音のメカニズムを考えれば当たり前といえば、当たり前で。音声学やってない人に(そういう感覚が)あるのがすごいんですが、なぜってこれは歌い手にとって大切なことなんですよね。生理学的なもので、発音ができないことでも、歌にあることはあって。どうしようも仕方のないことを歌手の人はどういう風に対処しているのかというのも教えてもらいました。

北山さん曰く、「私は(発音において)音に4つ点があって、3つの区間に分かれていると考えています。子音が母音に対して悪さをする時間を1で食い止めて、2と3には影響しないように歌っている」ておっしゃったんですけど、

『まぁ、素敵だな~』

と思ったわけです。

漢字の御飯からひらがなのごはん、ローマ字のGOHANの説明ありましたよね?それはまぁ分子が原子になる程度のこと。でも、発音に点を見つけて分解して音に落とし込むわけですから。分子の中の内部構造、量子力学の分野ですよ。

北山先生/(発声や歌の)時間経過のモデルみたいのが、実現に向かうまでの実体験としてあって。自分の実体験にお墨付きをもらえると、断固とした足取りで前に進むことができます。

粂川先生/私は1年生にドイツ語の教えているんですが、最近教え方も変わってきていて。言葉は体から出てきて、まさに声でありますから。ドイツ語でグーテンターク。言ってごらんと最初言っても、小さな声でぼそぼ言うとそれは伝わらないんですね。それで最初ハミングしてみましょう。ハミングでグーテンタークのメロディが言えないと言葉としては成り立たない。音楽と言葉は密接な関係があると思いますね。


粂川麻里生先生って?
文芸雑誌『三田文學』の編集長。ドイツ文学の研究者でボクシングにも詳しい。次の三田文學は作詞家の松本隆先生の特別授業の記事が掲載されるそうです。学問として身体の言葉と歌の関係。表現とどう結びついているか?身体、科学、ことばの繋がりを語ってくださいました。


北山先生/本当にまさにおっしゃる通りです。どんなに正しいGが発音できたとしても、言葉に内包されているメロディがないと、ことばとしては伝わらないですよね。

川原先生/我々が発音しているときに目指しているものがすごく重要です。舌先が動いて、摩擦があって、発音します。その「S」を出すというのは、高い周波数の音を出すためにやってるのか?何をするための音なんだってことです。歌う人が目指しているものって、どっち?音響的なものではないか?音を合わせたいわけですから。例えば、事故で歯をなくしたら、歯を使わない全く別の方法で発音できる。人間が発音する際に考えていることは、運動ではなくて音響的な結果であるといえます。

北山先生/話していることには伝わるけど、アナウンサー試験には受からない人もいる。お前は「S」発音に問題があるから、ゴスペラーズはクビだってことはないけれど、「S」の発音は唯一解では無いですよね。例えば、初めてやった格闘ゲームにおいて連打するだけで勝ったりするんですけど、ある程度で勝ちは止まっちゃう。問題意識がでるまでは、なんとなく実現できていればいいんですが、それでは超えていけないこともあります。

●ゴスペラーズにおけるラブソング

北山先生/記号の7割解釈問題。歌って語りつくせないのですが…。全体の解釈としては聞き手の余地が残るのが歌です。日常会話ではなんで?ってなるところが歌の中には余地としてある。(ことばとしての)フォームが日常会話とは違うんですね。ゴスペラーズはラブソングが多いのですけれど、「あなたのラブソングを歌います」とラブソングを表現しているメンバーがいます。そうだなって、思っていて。みんながそう思っているわけじゃないんだけれどそれって大切だなと感じているんですね。

どうすればあなたのラブソングを歌えるかな?どうやって余地を残したまま、解像度の高い表現ができるのか。苦しい表現をしたときに、苦しいという解像度が高ければ高いほど、他の違う何かとして伝わることがあります。

●何かが伝わるという「何か」の解像度を上げる

恋人の隣に座ってることを歌うとします。それはあなたの匂いを思いうかべて歌ったり、どんな顔しているのか、ルックスなのかを頭の中に持つ訓練をしてないとできないんですね。僕の頭の中にない場合は、何も伝わらない。失われることが前提で歌うことで伝えるんだと思ってます。

●歌が先か言葉が先か?

粂川先生/7割理論は、文学にも言えるのではないでしょうか?歌は文学の歴史を考えてもその時代、その時代での役割が違います。どんな民族でも言葉は文字じゃないと調べられないですが、古いテキストは韻文が多い。ライムを踏んでるんですね。言葉が発達したものではなく、初期。(初期衝動的に)韻を踏むということがまずあるのではないかと思ったりしています。

粂川先生/我々の言葉といういのは、文字を獲得してから使っている時間は短い。めちゃくちゃ最近のこと。4,5世紀くらいのこと。何万年も前から字を使っているわけではないんです。文字を使っていない時代に、どうやって法律を共有し知識を共有し、コミュニティを形成していたのか。全部口で言う言葉だけでどうしていたんでしょう。歌と物語である程度説得力を持っていたのかなと思っています。文字を使う前の人間は様々な物語を共有して、解釈も感情なんかも共感できる人でコミュニティを作っていたのではないかなと。歌や物語を共有することでコミュニケーションをとっていたのかなと思っています。

●音楽雑に扱われてない?

北山先生/普通にあるものとして音楽が身近にあるから。構造的に説明できるようになれば、音楽大学で小さいころから鍛錬していた人が、社会に出る時にスキルを手放すことはないんじゃないかと思っています。

粂川先生/音楽がサイエンスの枠組みに戻ってきた。昔のヨーロッパと同じ感じですよね。

北山先生/医学と音楽がつながってきたり、科学と音楽の世界がつながったり。音楽に対してポジティブで熱意をもって接している人が様々な学問と無関係じゃない世の中になってきました。音声学と言語学が結び付けられるといいなと思っているんですね。世の中を変えようとまで、大それたことは思ってないのですが、音楽の力を誤解している人はいないかな?と思うこともあります。音楽に対する身近すぎるゆえの、粗雑な扱いをしてないかなと思ったり。クラシックしか聞かないとかヘビメタしか聞かない人、両方に響く音楽は難しいですよね。

僕は音楽は祈りだと思っていて。響きあう人には届くけど、音楽に対する祈りは一律には届かない。音楽は聞き手のために作られたメッセージであると思っています。ついてこれる人だけという表現は好きでないので。あなたの心にさざ波が少しでもあったほうがいい。

そう思って「うた」と向き合っています。


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