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羽化に会う

2024年2月24日は、ゴスペラーズの北山陽一さんの50歳の誕生日。ちょうどタイミングよくファンクラブのイベントが開催され、半世紀おめでとう!を直接届けることができたファンも沢山いた。

思えば苗場公演の直後にソロライブツアーを開催し、休む間もなくファンクラブイベントがスタート。北山さんは少し体が心配になるくらいの速度で全国を飛び回る。あれからしばらくたったけれどソロライブがとても胸に刺さっていて、仕事で疲れると窓の外を見て、ぼんやりその時のことを思い出している。ゴスペラーズのライブとは趣が違い、親密で美しいひと時だった。

今日は折しも北山さんのお誕生日。今年も幸せな1年になりますようにと想いながら、北山陽一 TOUR 2024 “ReMEMBER(仮)”の感想を書き残そう。特に有益なことはありません。というスペースを聴きながら。

私が参加したのは、香川県高松市のオリーブホールで開催された公演だ。ソロライブは全部で11公演。広島からスタートし、香川、徳島、熊本、大分、東京、横浜と7か所で開催された。ピアニストの柴田敏孝さんと二人で回る小さな編成のライブ。


1月24日に発売されたシングルを届けるライブが西での開催が多いので不思議に思っていたが、「雪になるべく影響を受けない場所で」という狙いがあったそう。延期や代替公演ができない際どいセクシースケジュールならではの開催地だった。


高松のオリーブホールは300人も入れば満席の小さなライブハウス。ビールを受け取って椅子に座ると、スポットライトがふわっと灯り、北山さんがピアノに座った。トシさんは…?と思っていると、震える手で北山さんがピアノを弾きだす。小さな卵を掌で包むように、まあるくした手でおそるおそる弾くというか、鍵盤を確かめるように押さえるという具合のなんとも覚束ない手元。なんの時間なのか分からず戸惑っている間に、ラフマニノフの難解な曲の演奏が数小節終わった。神妙なようでいて、いたずらっ子のような口元をした北山さんがピアノから立ち上がってこちらを向く。


「びっくりしましたか?」


それはびっくりしていますけれども?!と目を丸くしていると、トシさんが登場してピアノに座る。「あなたは歌手なんだから、難解な曲が弾けなくてもいいんですよ」と笑っていた。北山さんから「前奏曲「鐘」作品3-2は天啓を受けて急に弾くことにした」というようなことを話を聞く。冒頭のピアノの狙いはショック状態を作るためということだったので、その作戦はおそらく大成功を収めている。しかし、なぜショック状態を作る必要があったんだろうか?

今思えば、(仮)とタイトルにつけた時に「あ、これはゆるいライブにしよう」と決まっていて、「練習も本番も一緒にやるようなコーナーを真ん中にはさんで、最後に曲をやるとして…。最初からゆるっと入るのもなぁ…。なにかこう、ガーンとくるようなやつ…」ということで、ガーンと弾いたのかもしれない。成功しても失敗しても、え、いきなりピアノ?!ピアニストいるのに?!北山さんが弾くの?と絶対誰もが思う。

そういえば、ライムスター宇多丸氏が「ライブなんてもんはね、最初の3曲が一番盛り上がるんだよぉ、だいたいどんなライブでもそうするんだよぉ!」なんて言っていたけれど、今回のツアーは「盛り上げる」というよりも「伝える」に重点を置いたんだと思う。そこで、ツカミにあのピアノ。たしかに心をわしっと掴まれたと思う。そこからは北山陽一ワールドがひたひたと客席に浸透していった。今思えば最初のピアノは、言わば心に穴をあけて味が染み込むようにする、下ごしらえのような時間だったと思う。


ゴス曲2曲、邦楽1曲、洋楽1曲。続いて北山陽一と柴田敏孝が奏でる安岡優の世界


1stのゴス曲は「Shall we dance?」と「スプーン」だった。

「スプーン」はてっちゃんが主メロを歌いだす曲なので、よーちゃんが歌うと新鮮に響く。特に、♪光 駆け抜けて 銀に 瞬いて の割と高めの音をガチで当てに行くよーちゃんの良さたるや。本当に主メロを歌う人が変わると、あんなに歌の雰囲気が変わるんだと驚いた。優さんのときにそういうの聴いてるはずなのに、新鮮に今回も驚いた。


今回のライブは北山さんの心が裸だなぁと感じた。パンツも履かず生まれたままの姿のような、素直でそのままの気持ちを感じる時間。MCで印象的だったのは「僕の誕生日に始まった戦争はまだ終わらないし、0から1にする人が傷つくこともやり切れない」と、誰を見るともなく誰に語り掛けるでもなく、口からほろっと零したことだった。私は広島には行ってないけれど、少し話過ぎたとおっしゃっていたので、なんとなく察したりした。寂しいこと悔しいこと、悲しいことも日常にはいっぱいあるし、目を背けようとしても難しい場合もある。また、逸らしてはいけないこともある。それでもなんとか前を向く。北山さんのラジオが頭をよぎり、震災の話を思い出したりした。


ライブは日常を忘れて、楽しむ場所ではあるけれど、やり切れない気持ちを共有して昇華するための時間であってもいいと思う。私はソロライブに来るまで、陽ちゃんは陽の人と思っていたけれど、(もちろんそういう面もある)ライブで見たのは陰の人だった。何というか、陰の部分が感じられて、ホッとしたところもある。いろんな人の悲しみに寄り添い、なんとか僕にできることないかなぁと考えている人が、ライブ中は笑顔で歌っているしクルクルと回っている。でも、人って楽しく明るい姿だけじゃ勿論ないから。


人は昼間の太陽だけあれば生きていけるわけじゃない。月に照らされて涙したり、目を閉じて眠ることももちろん必要で、ゴスペラーズのライブが太陽ならソロは静かな月のような力を持つ。

切なさや愛しさ、やりきれなさ、恥ずかしさ、悲しさ、いろんな心の底にひんやりと流れる気持ちを柔らかく救い上げて照らすような時間だった。

ライブが終わった後、オレンジ色の温かい光の玉を飲み込んだような気持ちがした。それは、北山さんの歌声を通して受け取ったものが、体の中でじんわりと温かく明滅しているような感覚。とてもファンタジックな表現だけれど、北山さんの喜びも悲しみも怒りも、恥ずかしさや照れくささ、愛もやりきれなさなんかも、色んな感情がわーっ!!とやってきて、お腹とか胸のあたりで、じんわりわだかまって、躰の一部になろうとしている感じがする。

歌は表現であり手段で、伝えたいことや分け合いたいことがあって。言葉にならなさと言うより、言葉を作る元素みたいなものが音に乗って、自分の内側に入ってくる感覚がある。


俺はこういうアレなんで。よろしくお願いします。


と深々と一礼して、こころに居場所をみつけて、正座されているような心持ちがする。


なんかそんなに大切なものを貰ってもいいのかなあと戸惑う気持ちもある。

ちょうど最近、うたうからだの不思議という絵本が出版された。空気がどんなふうに息になって、歌声として出てくるのかを可愛い絵とともに、専門家の解説と一緒に学べる絵本だ。その本をパラパラとめくりながら、どうしてこんな不思議な気持ちがするんだろうなと考えたりした。

ソロツアーは一緒にケーキをつくる感覚がした。自分の気持ちがへこんだり膨らんだりして色んなことが土台となった上に、美味しくて甘いクリームを飾って日々生きていく。普段ならその上の苺は楽しみをくれる人が乗せてくれるんだけど、今回はよーちゃんが置いてもいいけど、君がおいてもいいんだよという風な感じ。


気持ちに苺を乗せにきたんですが、苺は自分で置いてもいいですよ。


というような不思議な感覚。このときの「自分」は北山さんであり、私でもある。そんな溶け合うような時間を過ごした。

続く。


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