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歌声とシンフォニー

今日は2023年1月8日。ゴスペラーズのシンフォニックコンサート福岡の千秋楽が無事終わったところだ。11月15日の東京文化会館からスタートして全6公演、札幌、福岡、西宮、愛知と5都市をめぐる各地のフルオーケストラと音を重ねるコンサートだった。

今回は福岡公演日に酒井さんが体調を崩され、福岡と西宮公演が延期となった。改めてこの時のことを思い出すだけで胸が苦しい。黒沢さん優さんが罹患されて中止になった苗場公演を思い出す前に、本当にあまりにもショックで関係ない自分も体調を崩した。情けない話である。

酒井さんの魅力の一つでもある、澄んだ歌声。咳や喉の後遺症が多い感染症だと知っている分、文字通りありとあらゆる神仏に「どうか、かの人から美しい歌声を取り上げないでくれ」と祈ったものだ。道端のお地蔵さんにも、野良猫にも月や星や山や、とにかく手を合わせまくる。しばらくして、振替公演が決まってホッとした。私は西宮の振替公演に訪れたけれど、ソウルパワーのマーベラスセクシー酒井を知っているだけに、懸命に歌に向き合う横顔にホッとしたし、大変な病気なのだと改めて確認もした。

本当に素晴らしいコンサートだった。私は札幌と西宮に賛歌した。特に指揮者の田中祐子マエストロの大迫力といっても差し支えない、オーケストラと向き合い、音をまとめ導き、人の声とすり合わせていく辣腕ぶりにただただ感激するばかりだった。

指揮台から降りられると小柄な女性だったのに、オーケストラに向き合うときの背中の大きさ。音を射抜くような視線にしびれた。鷹の目のような眼光がとにかく素敵だった。指揮者はオーケストラの音をまとめるだけでなく、歌手の歌声をその指先や指揮棒に乗せ、奏者に翻訳する役目を果たす。ゆうこりん(親しみを込めてマエストロはこのニックネームで)は、五人ともにアプローチを変えている。黒ぽんだったら、音のタイミングだけを奏者にスッと渡す「ここ合わせるとあとはどうにかするみたいよ」とでも言いたげな信頼とさり気なさ。てっちゃんとは横に並び立ち、軍師のようにその歌の世界観ごと解説していく。酒井さんとはベテラン選手と敏腕マネージャーのよう。少し遠くから応援するように声を翻訳してプレイヤーに手渡していった。

オーケストラとの相性が良いのは優さんだった。前述の3人とは少し違う、自分が音を受け取り笑顔に変えて歌いだすスタイルだ。大きな音の玉を受け取って体に取り込み、練り合わせて歌声にするような、一人オペラの空気感があった。そういえば彼だけ、宇宙人と作り上げる舞台があって、違う世界観のものを受け取ったり自分の中で育てたりするのが…本人ではないが本人のような人が得意だからかもしれない。マエストロの指先からふわっと音を受け取り、客席を振り返ると笑顔を浮かべ歌い始める。歌声もその仕草もなにもかも完璧だった。

演奏者との距離感や音へのアプローチが、五人ともこんなに違うんだ!と、ゆうこりんを通して教えていただいて、ライブに訪れた時の楽しさが一つ増えたようだ。

そして満を持して北山陽一である。すごかった。とにかく言語化の鬼というか、自分の世界を様々な理屈で解釈したり説明したりする先生が、しゅきしゅきワールドを翻訳するとあーなるのだなぁ…と。大学で教え/教えられながら、舞台に立つ実験体でもあり研究者でもある人が、表現者として大好きなクラシックという世界に自慢の仲間たちと飛び込むという試みは、感動というか圧巻というか、変態というか最高だった。

星屑の街などでは特に顕著だったと思う。よーちゃんがゆうこりんから受け取った音でゴスを照らして、ゴスからのメッセージをゆうこりんに表情や動きで伝える。まるで人工衛星のように電波を発するときもあれば、太陽の光を浴びて地球を照らす月のときもあった。言葉にならない幸せな空気を、歌や笑顔やなんだかよくわからない何かに変えて、ハーモニーの真ん中でニコニコと盆踊りしているようだった。

北山さんはライブのとき、たいてい楽しそうで幸せそうにしているけれど、あんなにふわっふわのふわっふわにハッピーな北山さんを始めてみた。背中に小さな羽が生えて、5㎝くらい宙に浮いていた。曲が始まる前や後にじーんと天井を見上げてハーモニオンと会話したり、椅子に座って演奏を聴いたりしているときには観客のような演者のような。ホイップクリームみたいな北山さんを見るたびに、こちらまで幸せな気持ちで満たされ、いいコンサートだなぁとしみじみ幸福に身を浸し、音楽の湯治に来たような心持ちだった。

札幌ではど真ん中のかなり前のほうに席が配された。北山さんが何かしゃべると、てっちゃんのサングラスの奥の瞳がニコニコと細められるのが見えた。そうね、ほんと師弟はそうようね、これも幸せの証とじーんとしていた。ゆうこりんとてっちゃんよーちゃんのYouTubeを聞きながら、コンサートを思い返すとあの時の幸せな気持ちがよみがえるようだ。

NHKのエコー遺産でもそうだけれど、リーダーと北山さんが「音」「歌」を話題に話すのん、本当にたまらない。歌に関してはリーダーが話をするけれど、音については北山の好きなものであるし、それは話させておこうというような、距離感が好き好きですきなのだ。はー最高。一生話していてほしい。そしてたまに聞かせてくれてありがとうの気持ちがある。

閑話休題。ビルボードクラシックスである。
今回はセットリストが公開されてからのコンサートだったので、私のように普段クラシックをそんなに聞かない人でも予習できるスタイルがありがたかった。「展覧会の絵」と「月の光」は予習しておいたほうが楽しいよぅとご案内があったので、前もって聞いていった。

ゴスマニア諸兄はクラシックに造詣が深い方やそもそも演奏家の方もいるので、音楽的な感想は専門家に任せる。月光は切なさの乗算がすごかったね。途中で北山さんが泣いてしまったらどうしようと思うような切ない音たち。ドビュッシーがもし生きていたらなんていうだろうかと思いながら聞いていた。

「氷の花」は緊張感があるピンと張り詰めた構成が素晴らしい歌なので、オーケストラで物語の舞台が増したように感じた。頭の中には苗場の雪と氷で作られた森の中の花が一面に広がる。「約束の季節」と共に、草原や森が地平線の彼方へ広がっていく。

黒ぽんの声は宝物だなぁ…としみじみと思う。歌声の迫力はそのままに、繊細に調整される表現の幅広さ。オーケストラとのスリリングな駆け引きに、何にも負けない常勝の声の強さを実感した。「ミモザ」は本当に素晴らしいの一言につきる。GBBの隊長・笹路正徳さんがおっしゃっていた「漆のような艶のある声」という表現がまさにぴったりだった。しっとりと艶めく黒漆の歌声に、弦楽器の調べが吸い付くよう。贅沢な音だからこそ映える。

「Overture」の良さに、高崎音楽祭を思い出す。ゴス曲をゴスと一緒に聞くのって本当に幸せだった。毎公演違うオーケストラなので、雰囲気が違うのも素敵。歌声と楽器では、歌詞が無い分、音の長い短いが自由で、そこもまた新鮮だ。てっちゃんの「(楽器でやるなら)こっち正解!」というジャッジはまさに中の人らしい感想だと思う。

酒井さんの職人気質というか、宮大工のようなこだわり技を聴いた時間だった。「積み重ねてきたものをベストの形で表現する」というある種の決意を見る。繊細で緻密なんだけれど、表現としては優美で淑やかにきらめく螺鈿細工のような歌声だった。マイキングも印象的に、そっと寄り添うように声を積んでいく姿が声の職人さんのようでカッコよかった。

西宮の第二部はロッシーニの歌劇『ウイリアム・テル』序曲「スイス軍の行進」なのだが、優さんがMCで話していたみたいにどうしても、オレたちひょうきん族の映像が頭の中を流れていく。華麗な歌劇の幕開けを白塗りのキリストやタケちゃんマン、パーデンネンが駆け抜けぬけていって、なんだかこれはこれでウキウキした。札幌は『フィガロの結婚』で、こちらも車のCMやらドラマで良く聞く曲だ。今思うと、曲名は知らなくても案外、クラシックは聞いているように思う。茶色の小瓶や子犬のワルツを聴くと小学校の掃除の時間を思い出す人もいるだろう。

ミニミニクラシック講座も楽しかった。特にそれぞれの楽器がどんな音を鳴らしていて、どんな性格の方が演奏家に多いかなど普段のコンサートならまず教えてもらうことの無い話が聞けてうれしかった。ハープのフットペダルの存在と、コントラバスのピンの名前はエンドピンって言うんだ!など、初心者にはうれしい豆知識をキュッと閉じ込めたMCだった。

クラシックのコンサートではあまりないような、観客と弦楽器の奏者が手拍子で参加する「Happy」も盛り上がった。クラシックのコンサートで緊張している心がほぐれたし、そのあとの「~明日へ架ける橋~Bridge Over Troubled Water」も染み入るように良かった。激流のような日々を超えるために頑張れ!頑張れ!ではどうしようもないことが多い今日に、そうよねと寄り添うような曲は胸に響く。

ここからは、このコンサートの山場となる『展覧会のゴスペラーズ』となるのだが、何とも言えない高揚感のあるクラシックの名曲の天の川を、小舟で運ばれてゴスの曲に出会うようなディズニーアトラクション仕立てになっていた。「あたらしい世界」で音の扉を開けて、「永遠に」でゴスの一番いいところを聴く。ここまでは本当に、これしか無いんやないかな!という流れなのだが、「宇宙へ」が

北山陽一っぺーーーー!!ゴスペラーズ最高ーー!!!

という身も蓋も語彙もない取り乱し方をした。私の心の中で、派手目のティンパニーが鳴り、白い鳩が空へ飛び立ち、海が割れ、国ができたのである。スーパー勃興。建国レベルに良かった。もともとの曲のドラマティックな入り方と黒ぽんのタイトな歌いだしがめちゃくちゃかっこいいので本当にさすがなのである。ゴスペラーズを良くわかっているのである。ハーモニーで聞かせるのではなく、それぞれの声が際立つややアイドル割の歌なので、ほんっとぉおおおおおにシンフォニックコンサートにびったりびたびた。これしかない。それぞれの声とオーケストラのハーモニーがこの曲は際立つのだ。

特に「あの空えぇ~リーチフォーざっすかーい あの空へー」
のにすぺの歌い継ぎ。いま、思い出すだけで私の中のムソルグスキーがスタンディングオベーションしている。そうね、私もそう思う。銅鑼は自分で鳴らすってなるよね、うんうん分かる分かる。

最後、キエフの大門でシンバルがめちゃくちゃ盛り上げてきて、銅鑼が響く感じたるや。なんというかゴスペラーズ明日で解散するんちゃうか!?という圧倒的クライマックス感。大団円of大団円。宇宙船が飛び立つときに、地球の重力を借りて空へ飛び出していく、スウィングバイという発射があるのだが、ムソルグスキーに乗っかって宇宙へゴスペラーズが飛び出していった感じがして大変北山さんぽくって最高だった。

最後にうっとりと、「街角」で幕をきちんと下すところもロマンティックで良かった。綴れ折る日々を振り返るたびに、思い出は背中を押してくれると思えたから。あの曲を聴くたびに歩き出そうと思える。

ここ最近のコロナ禍で開催されるコンサートでは、最後の曲に少し未来を感じさせるものや明日の約束があって、この街角もやっぱりそういうメッセージを感じる。またね。また次の街で会おうねと小指を絡めるようなラストがいい。

もともと持っていたゴスの歌の画角が、オーケストラの力で地平線まで広がって、海の向こうから球体としてまとまって、観客を包み込み、内側からキラキラと星が輝くような時間だった。

アンコール。「Fly to the disco ball」は鳥肌だった…。ここまで酒井さんはどちらかというと職人として歌っていたが、スッと前に出てくる。オーラスにいつも通りのキラキラとした歌声で、楽器にも私たちにも星を降らせてくれるようだった。イントロで立ち上がって、華やかな弦楽器の音と酒井さんの歌声に心も踊って、コンサートは終演する。

今回のフルオーケストラとゴスのプレミアムな催しは、
仕事やご家族の都合で来られなかった人が多いコンサートだった。
ご本人の体調不良は一番本人のお辛いところだったと思う。
それは演者も観客も変わらない。
お互い健康に気を付けて、そう声を掛け合いながら
明日の約束を楽しみにするしかない。

今、思うと本当に夢のようなひと時だったと感じる。
そして、このコンサートは様々な調整とプロの技によって成り立ったものだ。

マエストロに音をもらいにいく人、アイコンタクトだけで音の先頭を行く人。それぞれにの歌い方にも個性があった。てっちゃんの「ひとり」。どんな楽器よりもまず先頭で鳴り響く歌声に、一番歌がうまいから貴方はリーダーなのねと胸に刻んだ。

彼が繰り返し「この形でまたコンサートをしたいと思います」と力強く言っていたので、また次もあると信じている。

できないことは口にしない。できることは全部やってくれるのが
村上てつやリーダーなので、また開催される。

明日を信じて。

おしまい。

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