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旅との出合い

このテキストを書き始めたのは、信州まつもと空港から飛び立った飛行機の中。橋ツアーは旅との出合いなんだなと思いがらスマホでぽちぽちしている。


私の旅は、ツアーの場所と日程が発表された瞬間から始まっている。仕事の調整をして、アクセスを調べてチケットをとって。誰かが言ってた「コンサートは2時間かぎりの勘違い」への助走は、随分前からスタートしているのだ。私はたった2時間のために、歩いたり走ったり迷ったりするのが好きだったりする。

行程表を作ったり、旅先のパンフレットを集めたり書籍を買ったり。お洋服を旅先の気温と会場の空気感で考えるのも楽しい。ビルボードにはヒールとアクセサリがいるなぁとか、松本城の周りを歩きたいからスニーカーで行こう!とか、何をどこでしたいか?から考えている。

ライブももちろん楽しみだけど、行く先々で観光したり美味しいものを食べたり。温泉も大切な旅の要素。Twitterでやり取りしている見知らぬ友達にご挨拶するのも楽しいなーと思っている。 

旅の制限が緩和されて、出掛けやすい雰囲気になってきた。先程のニュースでは東京の感染者が21人だったと言う。どうかこのまま収まって欲しいと祈るばかりだ。先日のゆたソロの日は一桁だったので、随分ホッとしたものだ。

今回の旅は思いがけず連続したものだった。ソロ、デュオ、グループを1週間で観た。まだ、感想なんておぼつかない。フワフワとした雲の中で白昼夢を見ているような気分がする。

どのライブも素晴らしかった。三年前なら、全部行ったかな…と考えると、行かなかったなぁと思う。今は「次のライブほんとにあるか分からない…」という、不安の中にいる。だから、行けるなら行こう!と踏み切る力が強い。

そんな中の橋ツアーは、行けるなら行こう!ライブだった。橋ツアーは知らない街で開催されることが多くて、アクセスを考えるのが本当に楽しい場所ばかり。合わせて、大変なことがあった街を思い出して、訪れて、胸に刻むことができるところもいい。北山先生のラジオを聞いていると、ある程度落ち着いた場所へ訪れて観光するのもまた、復興の一助になるのかなと考えてる。あんなに静かな川が決壊するなんて、皿川を実際に見ても信じられなかった。

てっちゃんが、橋ツアーはこの街の人、この街を応援してる人が一緒に楽しめる場所だって言ってくれたの、本当にグッときた。

今の時期出掛けることには、どうしたって後ろめたさや緊張感はある。だからこそ、応援するという視点をくれたのが嬉しかった。今回の会場はゴスのツアーでは初の試みの地元の物産の販売があった。飯山の地酒だ。もちろん買ったし、もう飲んだし、なんなら道の駅で買い足した。旅の途中で買ったリンゴも野沢菜もあれもこれも。家で食べるのが楽しみだ。

会場近くの千曲川沿いには、お花を楽しむための野沢菜が植えられていた。信州の春は菜の花と冠雪が美しいアルプスのイメージがあったので、この子たちが越冬して咲くんや…春に来たいなぁ。と自然に思った。

新しく行きたいところと、またいきたいところが増えるのは人生への祝福なのでは?と帰り道に感じる。自然が美しい場所に出掛けると、春夏秋冬を通した表情が見てみたいと思う。特に信州は初夏と冬のイメージはあったけど、あんなに紅葉した山々が美しいとは知らなかった。


峻嶺が赤く染まり、黄色が彩り、緑が瑞々しく華やぐ。遠くの山の稜線に薄く雪が積もり、短くも力強い秋の深さに圧倒された。湧水も温泉も心地よく人の営みに溶け込み、文化や歴史を作っていく。

圧倒的に力がある美に触れると、自分の愚かさやいじましさに落ち込んで、その後、人の製作物など所詮、なんでも無いもんだと開き直ったりする。

人は自然の一部なので、そんな気持ちはあんまり意味がないのだけれど。そんな中で、歌声には何故か自然への尊敬や畏怖に近い気持ちを抱いている。震災後にバンに乗って歌声を届けに行った五人に、心和んだとSNSでちょくちょく見た。特に用意された舞台などがなくとも、この時だけでも楽しんでください。と、アカペラで歌声を置いていく。そんなスタイルが橋ツアーから感じられる。

大変な毎日だからこそ。歌声にふと手を止めて休んでもいい。その土地の人の楽しみと、遠く旅好きの私に楽しみをくれる橋ツアー。

悲しいことが無くなったら、今度は地域振興や復興の一助になるのかしら?と夢想している。日常と非日常、旅好きと見知らぬ土地に架け橋を。

坂ツアーとはまた違う楽しみがある。

また行こう。新しい土地と、もう一度の土地へ。願わくばゴスペラーズを楽しみに。

おしまい。

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