エロスすなわち裸になること


エロスはどこから来るのか、それは「触れ合い」から始まるのだ。ゆっくりと手を繋ぐ瞬間、ふとした偶然で触れる肩、柔らかな心を包む温かい胸。

心と心が裸になって隣り合って暖かさを感じ合うことであり、するりと剥き出しになった熱を帯びた心が触れ合って境界線ごと蕩けていくことである。


1音目の爆音(それはオープニングSEの繋ぎから出される今日のライブの決意表明的な1音目であり、多分毎回約束されている)、そのたったの1音目で、普段の生活の中で知らぬ間に心に張っていた境界線(わりと強め)が一気に破られる。ゆっくりと解けていくなんて柔らかいやり方じゃない。ある意味ショック療法みたいな。平日だとなんだか色々仕事のこととか生活のこととかがまだ体全体を駆け巡って不安な表情を顔に浮かばせながら向かうライブハウスなのだけど、もうその「ジャーーン!」ですっかり楽しくなってしまう。ステージの4人が爆音で音合わせする様が楽しそうで、それだけでもう楽しい。


突破された境界線、乱暴に何かのアイテムを投げ込まれたかのように空いた穴からぐいぐいと楽しい音が入り込んでくる。
でもその一点突破の後は、乱暴にその穴をこじあけられたりは、しない。優しく音を鳴らしてくれてる。こっちが心を溶かしていくのを待ってるかのように。硬直していた身体、ゆっくりと柔らかくなっていって恐る恐る手を伸ばす。伸ばした手、差し伸べられる手、ゆっくり触れ合って近づいていく。


あいをうたう。簡単な言葉だけど簡単なことじゃない。優しくなれないと愛は歌えない。どんどん近づいてあたたかくなって、胸の奥の塊に触れられる感覚。あたたかくて心地よい。ああこのバンドは愛のバンドなんだと、直感で感じている。根本的なところからずっとあたたかくて愛に溢れている。そういえば直感というのは怪しいようでいて結構当たっている、直感は信じても良いものだと最近は思っている。


こっちの境界線とあっちの境界線が近づいて触れ合っていく。温かく流れる血が巡る。血が通って触れ合う。それはあたたかさに包まれて気持ちの良いことだ。気持ちのいいことをしながら頭の奥で考えている。どんなに触れ合っても血が通っても1つにはなれない。ここにいる人たちは境界線の混じり合いの中にいて、実は孤独な人たちの集まりなのだと、集団の中にいても個人は個人だ。境界線の溶け合う時にこそ強く感じてしまう。決して1つになったりなんかしない。でも。1つにはならないが、だからこそ影響しあう。影かたちが響きあう。響きあって愛を感じる、あたたかく感じる、気持ちのいいことをしている実感。


もっと響きあうために裸になっていく、お互いを見せ合う。恥ずかしさはもうない。裸で魅せにきてくれるならこちらの殻ももう要らない。触れ合った境界線はもうない。境界線ごと蕩けて熱くなって何故か涙が流れているのである。


2022年6月8日、渋谷La.mamaにて


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