世界は広いよ、グラーシアス!

また朝がやって来た。朝飯を喉から流し込んで、お母さんの作ってくれたオカズとご飯を弁当箱に詰めて、白いブラウスに靴下を身に着け制服を着込むと【行ってきまーす】と玄関で挨拶して黒のローファーを履いて家を出る。

ドアを開けるとマンションの中庭に咲く色とりどりの花が目に飛び込んできた。エントランスを出るとアスファルトに覆われた坂道を下ってすぐ、新緑が辺り一面に広がる。ここから中学校までしばらくの間、早苗が植わった田圃の農道が続く。

田圃道を少し行ったところにある畑の脇で、左右を見回しながら自分の他に通学している存在が無いのを確認するといきなり、うずくまった。そのまま息を凝らして待つ。あと数分もすれば妹は小学校に登校し、お母さんは会社に出かける時間になる。そうするとお父さんは月曜日から泊りがけで出張だから、家には誰も居なくなる。

どれくらい待ったのか、お母さんの気配が家から遠のいた感じがした。【今だ】と思い、他人の目が無いことを確認しながらマンションのエントランスに戻り、オートロックを解除して帰宅する。

弁当箱を通学鞄から取り出してダイニングテーブルに置くと、制服とブラウスを脱いでハンガーに掛けクローゼットに戻す。マンションの廊下でも誰にも見られなかったことを思い出し、ホッとした。全身の力が抜けていく。

【パラダイスだ】心が躍る。リビングでテレビを点けて衛星放送に合わせると、いつものアニメが始まっていた。【グラーシアス!】とスペイン語で、目の大きな可愛い女の子が叫んでる。

昨日は保健室に登校したが、【おはよう】と声をかけてもただ一人、いつも裸足でいるK君が【おっす】と呟いた以外、誰からも返事が返って来なかった。自分と同じように登校して来た男女は総じてみな、うつむき加減で顔色が悪い。正直、この子たちは何が面白くて生きているんだろうと思った。K君以外はみな、クラスに通えない自分のことを責めて暗い気持ちに沈んでいるのだ。

中学校は三年生の新しいクラス編成になってすぐ、もうこのクラスには行かないと決めた。女生徒が2つのグループに分裂したが、自分はどちらのグループにも愛想を振りまいていたら、いつの間にか、どちらのグループからもハブられてしまったのだ。それがわかった瞬間に、こんなクラスにこれから一年通っても何の価値も無いなと直感的にわかった。それで翌日から自主的に不登校になった。

しばらく不登校が続いた後、お母さんとあまり年の変わらない担任の女教師はいきなり自宅に訪ねて来て、【一度だけクラスに顔を出してみないかな】と勧めた。まだ親には不登校のことが告げられてない頃だった。

嫌々ながらクラスに顔を出した日、2つのグループの明るい感じの女生徒が一人ずつ声をかけて来た。私の名前を親しげに呼びながら【おはよう。みんな心配してたんだよ】同じことを可愛い声で呟いて。二人の顔に取り繕ったような笑顔が張り付いているのを見て、【嘘つけ】と思い、吐きそうになった。

その後、女教師は電話で母親に事情を話して、自分には保健室に登校するよう勧めて来た。お母さんは【ごめんね、気づかずにいて。苦しかったね〜〜】と優しく肩を抱いてくれた。思わず涙が流れて頬を伝った。

昨日が保健室登校の初日だった。初日で他の生徒たちの暗い顔を見て、どんよりした空気を感じて【ああ、ここも通う価値がないな】と直感的にわかった。K君は自分と同じ匂いがした。たぶん彼も自主的に不登校になったのだ。学校には通う価値が無いと直感的にわかったからだ。

アニメを観終わって、気持ちが爽快になった。【世界は広い】【そうだ、お母さんに言おう、もう中学には二度と行かない。でも高校は受験する。自分で勉強するから塾に通わせてくれって頼むんだ】

自分やK君のような不登校の生徒以外は先週、修学旅行に行ったはずだ。着たくもない制服を着て、行きたくもない修学旅行に行ったのだ。仲良しのフリをしながら。

【私は自分の気持ちに正直に生きるんだ。】心がさらに晴れやかになった。お母さんはきっと受け入れてくれる。

それから夏が来て秋が来て冬になった。K君と自分は塾に通いながら自分で勉強をした。早春が来て卒業式になった。保健室に不登校の生徒が集まり、校長先生から卒業証書を受け取った。K君も自分も志望校に合格していた。先生たちが【よく頑張ったね〜〜】と口々に褒めてくれた。

K君も自分も親が自由を認めてくれたからだと直感的にわかった。グラーシアス!


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