連載小説 マリアと呼ばれた子ども 第28回

年が明けて、マリアは【イルカちゃん】と呼んで彫っていたタオライアーをついに彫り上げた。幸子に連絡すると、自宅近くの公共施設に予約を入れて仕上げ作業をすると言う。早くても2月の上旬から予約可能だと言う、幸子に乞われて、僕は希望日時をいくつか知らせた。
幸子の話では、仕上げのコーティングは三種類あるとのことだった。胡桃を潰しながら油を吸わせるか、ミツロウを溶かしたものを少しずつ塗り広げるか、ワックスなどの化学物質を塗るかだ。
胡桃を潰して油を吸わせる方法は、自然派が好きな人たちはよく試すけれど、カビが発生しやすいそうだ。幸子は化学物質を極端に嫌わないなら、ワックス仕上げを勧めるとのことだった。
僕は迷わずワックス仕上げを希望した。まだ10歳になったばかりのマリアの年齢では、カビが生えないようにタオライアーを管理するのは難しいと思ったからだ。
次の日、幸子は予約日時を知らせてくれた。
本当はミッチーに付き添ってもらっても良かったのだ。けれども、ここまでマリアのタオライアー製作に付き合ってきたので、僕は仕上げの工程も見極めたいと思った。
予約の当日、2月も半ばになっていたが、僕は車を走らせてマリアとともに幸子から指定された会場に向かった。午前9時から昼までヤスリとワックスを掛けたら昼食を挟んで、午後にピンを打って弦を張るのだ。
この公共施設には木工室が備えられている。木工室は思ったよりずっと広かった。ジグソーはともかく、木工機材もいくつか備え付けられているのには驚かされた。
幸子は紙ヤスリはもちろん、ジャムの空き瓶にワックスを小分けにして、ハケなどとともに持参してくれた。
僕とマリアも軍手とエプロンを身に着けて、幸子の指示でまずはヤスリがけから始めた。マリアは目の粗いヤスリから丁寧に作業を進めて行った。
途中で疲労を見せたマリアと作業を代わろうと僕は提案した。けれどもマリアは、出来るだけ最後まで自分で仕上げたいと言って、一人で黙々と作業を続けた。
少しずつ休憩を挟みながら、マリアは仕上げの目の細かいヤスリがけまで、一人でやり通した。
「マリアちゃん、ヤスリがけ、最後まで頑張ったわね。ワックスをかける前に、何か摘んでお茶でも飲みましょうか。」幸子に促されて、僕たちは休憩室に向かった。
幸子は、お茶の席で出される干菓子を用意してくれていた。和紙の表ばりの小箱に綺麗に詰められた、色とりどりの干菓子を見て、マリアは歓声を上げた。
「愛さんの住まいの阿蘇市で行われるワークショップは、3月の20日からですね。アンニカから連絡ありましたね。」
「はい、マリアとともに楽しみにしてます。」
「じゃあ、飛行機のチケットを三人分取りましょうか。アンニカたちはたしか、関西方面に旅行してから阿蘇に入るそうですから。羽田空港で待ち合わせをしましょうね。宿泊はたぶん愛さんのご自宅にできると思うので。」
「へぇ、それはずいぶん広いお宅なんですね。できればミッチーの分まで四人分、飛行機のチケットをご手配願います。」
「わかりました。」幸子はいつものように満面の笑みを浮かべて応えてくれた。
お茶が終わると僕たちは再び木工室に戻り、幸子の指導の下でワックスがけを行った。速乾性なので、昼食を摂っているあいだに乾いてしまうという。
昼食は、施設に入っている、オーガニック野菜のマクロビ食の店で摂った。肉も魚も受け付けないマリアにとって、マクロビ食の店はうってつけだった。その店で幸子は他の女性と待ち合わせていた。菅さんという大人しい感じの中年女性で、午後タオライアーにピンを打って弦を張る、お手伝いをしてくださるのだ。
菅さんは第一印象とは違って、小さいながらよく響く声でペラペラと話す人だった。どこかで見たことがあるなと思っていたら、安曇野のライアー製作ワークショップでも愛さんの助手を務めておられたとのこと。聞けば、愛さんの阿蘇のライアー製作ワークショップでも以前、助手を務めたことがあるとのことだった。
「タオライアーを含めてライアーはずいぶん、日本で人気があるんですね。」と僕が聞くと、菅さんは詳しく答えてくれた。
「宮崎駿監督のアニメ、【千と千尋の神隠し】でエンディング曲にライアーの弾き語りが採用されてから、日本で広く知られるようになったんです。東日本大震災の前年、2010年からなぜか爆発的に人気が高まって、愛さんの住まいの阿蘇市や安曇野の別荘で製作ワークショップを開くようになりました。そしたら、あの大きな震災が起こったでしょう。【これは宇宙の采配だったんだ】って、愛さんと幸子さんと話したものよ。その後、熊本市でも大地震が起きたり、広島市やいろんなところで水害も起こったでしょう。自然災害によって大きな心の傷を負う私たちには、癒しが必要だったのね。そのことを宇宙が知っていて、前もって準備してくれたんだって。」
まったくその通りだと僕は大きくうなずきながら、宇宙の采配に改めて驚くとともに、菅さんの話に聞き入っていた。
昼食を済ませると午後は、タオライアーは二人のベテランによっててきぱきと作業が進み、二十数本のピンが打たれ、弦が張られた。
幸子はあらかじめ用意してくれていた、絹の手染めの布でタオライアーを包んでくれた。幸子から心のこもったプレゼントを頂いたようで、マリアも僕も嬉しくて胸が一杯になった。
僕たちは二人に心から感謝の言葉を贈り、仕上がったタオライアー【イルカちゃん】とともに家路に着いた。

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