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連載小説 マリアと呼ばれた子ども 第30回

愛さんが手作りされた優しい味わいのパンケーキと熊本産の美味しいグリ茶に、僕たちの旅の疲れはすっかり癒されてしまったようだ。
僕は愛さんとライアーハープ、タオライアーのことがもっと知りたくなった。愛さんは、日本にシュタイナーのライアーハープとタオライアーが入って来た直後からずっと、ここ阿蘇の別荘で演奏会や製作ワークショップなどを開催して来られた。いわば、先駆け的な存在だからだ。
愛さんはいつものおっとりした口調で話してくれた。初代のライアーハープをドイツから取り寄せて愛さんのところ、当時はここは別荘として愛さんご夫婦が主に夏場に滞在しておられたところに来てから、不思議なご縁が繋がり始めたと言う。まずは演奏を聞きたいという依頼が熊本県内や博多や北九州から入り始めた。その中、長崎や広島のいわゆる原爆二世たちの会に呼ばれて演奏することもあったそうだ。
そのうち、愛さんはライアーハープを演奏していると、自然に歌詞がこぼれ落ちるように出て来たので、書き留めるようになった。その詩をモチーフにしては即興演奏をする姿が評判を呼んだ。CD製作の声が掛けられて、この住まいのデッキで生演奏を収録し、また熊本市のスタジオで演奏を収録した。
処女作のCDでは、タオライアーの演奏の背景に、森の木々が風に揺られて擦れる音や、小川のせせらぎの音や蝉の声が入っている。まるでバックコーラスか通奏低音のように効果音となって。
そのCDは、瞑想やヨガなどのボディワークの伴として評判を呼んだ。精神世界のお話会などの集まりで販売されることも少なくなかった。
やがて聞くだけでは飽き足らないという声が出て来て、本場のドイツから男性職人を講師として招聘して、製作ワークショップを開催するようになった。
愛さんはご主人が商社マンとして長年、海外に赴任するお伴をしていたため、英語には不自由しなかった。それで、英語の通訳として製作ワークショップのお手伝いをして来られたそうだ。製作ワークショップの会場も、大体は不思議なご縁が繋がってはまかなわれたとのことだった。
愛さんの住まいにアンニカ親子が到着したのは、愛さんの話も終わり、夕飯の準備をしていた午後5時頃だった。

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