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連載小説 マリアと呼ばれた子ども 第21回

三日間の安曇野のライアー製作ワークショップが終わった。翌朝、アンニカと僕たちは互いの連絡先を交換した。アンニカ親子はこの後、軽井沢に向かうという。会社が所有する別荘で父親と合流して、二週間ほど滞在するとのことだった。来月末の再会を誓ってアンニカ親子と名残惜しく別れた。
僕たちも家族水入らずで八ヶ岳のリゾートホテルに二泊、宿を予約していた。安曇野を後にして、白樺湖や女神湖といった、水辺を散策し、宿に入った。
翌日、八ヶ岳ではマリアとミッチーのかねてからの希望を叶えて、農業の体験学習に参加した。八ヶ岳山麓では、従来の慣行農業の他に、有機栽培や自然農法など実験的な新しい農法が取り入れられていた。二人は、自然の恵みが循環する、自然農法による農園で体験ワークショップを希望して予約していた。僕たちは2日コースのワークショップに参加した。作物の収量を増やすため、慣行農法では畑の草を刈り取り、土を耕して肥料を入れて土壌を改良し、そのまま二週間ほど寝かせてから種をまいたり苗を植える。僕らが体験した自然農法では、草はすべて刈り取らず、無農薬、無肥料、無消毒で、適度に草を刈りながら、草と共生した結果として、作物は人間の手に入る。まさに自然の恵みである。しかも、草の力を借りた土壌改良による自然農法は、さまざまな手入れも慣行農法に比べて楽そうだった。
僕の短い夏休みは終わった。鎌倉の自宅に戻ると、僕は溜まっていた連載小説などの仕事を猛然と片付けて行った。仕事が一段落した頃、ふと気がつくと、アンニカ親子との再会を誓った9月の連休の直前になっていた。
ライアー製作ワークショップの当日の朝、マリアに催促されて、僕たちは軽く朝食を摂り、湘南に車を走らせた。ワークショップは、ライアー製作を指導してくれる女性の自宅で行われるのだ。アンニカから事前に連絡を受けた、指定場所に車を停め、僕らは徒歩でご自宅に訪問した。
呼び鈴を押すと、女主人が華やかな声で「いらっしゃい。お待ちしてました。幸子です。さっちゃんって、呼んでくださいね。皆さんのことはアンニカさんからお聞きしてます。先ほどお着きですよ。」と言い、人懐っこい笑顔で迎えてくれた。
「初めまして。マリアと美智子です。ミッチーとお呼びください。」とミッチーは自己紹介した。
鎌倉の手土産を渡す間も無く、女主人に促されて二階に上がると、アンニカ親子は、待ちかねたように僕たちに駆け寄ってきた。
「マリア、久しぶり。元気にしてた。」双子の姉妹はマリアに抱きついた。
幸子さん宅の二階は、ご主人が趣味で音楽をされるせいか、アップライトピアノはもちろん、ドラムセットや、見たことのない弦楽器や打楽器が所狭しといろいろ並んでいた。
ワークショップの参加者が揃うと、幸子はおもむろに名前を呼び上げてはタオライアーの木材を手渡して行った。マリアに手渡されたのはケヤキの木だった。ケヤキは堅いと聞いている。実際に手にすると、ズシリと重い手応えがあった。
アンニカの二人の娘たち、エンマとマヤに巡って来たのもケヤキだった。幸子が僕たちに寄って来て、呟いた。
「マリアちゃん、エンマちゃん、マヤちゃんに渡ったケヤキは姉妹なのよ。10年間、群馬県の木材工場で眠っていたの。掘り出し物だったんだから。」と幸子は言った。
「では、これから木の精霊と繋がる瞑想を行います。先程お渡しした木は、伐採されるまでは数十年、森の中で生きて来ました。周囲の木々や草花、鳥や獣たちと共生しながら命を育んでいたのです。そんな命を持っていた、木の精霊さんと繋がって、これからその木でタオライアーを作らせていただくことをお知らせしましょう。瞑想の間は、実際に木を彫る方が板を触って下さいね。あ、そうそう。マリアちゃん、エンマちゃん、マヤちゃんはお母さんとお父さんに時々、手伝ってもらうようなら、お母さんとお父さんも木に触って下さいね。」
マリアが膝に乗せている木材に、僕とミッチーも手を添えた。
幸子さんは、一息深く呼吸すると、ゆったりとした優しい仕草でタオライアーを奏で始めた。タオライアーの音色は、自然の木材で作られた幸子さんのお宅に、豊かに響き渡った。
「では、ゆっくり呼吸を続けながら目を閉じて、木と繋がってみて下さい。その木がまだ命を持っていた時、どんな様子でしょうか。」幸子さんの穏やかな声に誘導されて、僕たちは深い瞑想状態に入って行った。しばらくの間、幸子の奏でるタオライアーの豊かな響きと共鳴しながら、イマジネーションを膨らませていた。
幸子の穏やかな声に促された。
「では、ゆっくり呼吸をしながら、こちらの世界に戻って来て下さい。」
タオライアーの音が止み、キィーン、キィーンというティンシャの鋭い音で瞑想の空気が破られ、僕たちはこちら側に戻って来た。
幸子は言った。
「目を開けた方から、今感じたこと、見えたことがあれば、メモにとって下さい。」


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