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駄目な事は駄目


熱中症警戒が言われると、どうしても思い出してしまう夏の4年間がある。

年子の長男と長女が過ごした高校の夏。駅伝部の夏だ。

「熱中症になると、走ってる最中に身体が痙攣してくるんだよね」
そう今でも娘は言う。

勿論それを監督に言っても休ませてくれるわけでは無く、メニューが終わるまではそのままだ。
皆痙攣を無視して走り続けていたらしい。
少しでも遅れると、やり直し。
練習は、35度を超えてもマスクをつけて行われていた。男子は二重マスクも珍しくなかった。心肺機能を鍛えるためだ。

練習が終わって挨拶を済ませた後、校舎のエントランスに辿り着く前に皆膝が崩れ落ちる。中には口元に泡が出て倒れる子もいる。
気がついた養護教員が駆け付けても、監督は取り合わず、水の入ったバケツをぶっかけた後に倒れた生徒を叱責するのだ。

合宿中の山下りで倒れた子が出た時、気付いた外部の人が救急車を呼び病院に搬送されたが、その顛末は監督の逆鱗に触れた。

厳しい体重制限をかけた上でこの有様だった。

長女が摂食障害を負ったのは、この熱中症関連とは関係ないが、熱中症云々にかかわらず、一事が万事だった。

前日より100グラムでも体重が増えると、セクハラまがいの罰則を課せられる時期が続いたようだ。それを連帯責任で負わされていたらしい。それが怖くて強烈なダイエットに走り、わからないように食べた物を吐き出した。
いろいろあったようだが、これが決定打だったのではないかと思う。

おかしいおかしいと心配で仕方なかったが、娘は何が行われていたか口にしなかった。息子は既に引退していた。
打ち明けられた時は、精神をやられ、身体も壊れていた。
「体重を減らす事が自分を保つ唯一の喜び」脳がそう認識してしまった。

壊れた後は、保護者会からの圧力があった。校長に、あるいは教育委員会に訴え出ないでくれと。皆が壊れた訳では無いのに監督が辞めさせられたらどう責任を取るのかと。卒業とは言えお兄ちゃんはOB会でしょ、と。

拗らせた結果、今も治った訳ではない。努力を続け、病と向き合う日々だ。

あれ程好きで、高校生活全てを賭けて臨んでいた競技を、予兆段階で強引に辞めさせる事などできただろうかと思う。

いや、それは言い訳だろう。実際わたしは自分を責め続けた。

訴えなかった事で、後々摂食障害親の会で集中砲火を浴びた。保護者会からの言葉をそのまま口にしたのが馬鹿だった。

「あんたは息子を選び、娘さんを見殺しにしたんだ!」と、指をさされて罵られた。

大袈裟と言われるだろうが「ソフィーの選択」を思い出した。
子への愛情に序列など付けられようか。
いろいろな事が重なっていた時期だった。わたしの気持ちは瓦解した。

わたしはただ壊れた娘の心を、これ以上傷つけたくなかっただけなのだ。訴え出れば何が待っているか容易に想像がついた。
娘は最後まで部活を辞めるつもりは無く、実際それを貫ぬき、走りきったのだから。
複雑な事に、善悪は別にして長男も長女もあの三年間は財産になったと口にする。

ヘッダーは、某有名人からのオーダーアレンジ。
好きな花の仕事を長く続けている事は幸せな事だと思っている。
ただ、わたし達両親と娘の道のりはまだまだだ。

熱中症の話は、異常な練習の象徴だと思って書いた。

確かに部員に死者は出なかった。
わたし、夏は大好きなのだ。
それでも熱中症のニュースから思い出す夏の光景は、今尚いたたまれない。


人それぞれ背負う人生がある。その過酷さも喜びも人それぞれだ。だからこれを書くのはどうなんだろか、とも正直思う。
娘は時々わたしのnoteを読むようなので、もしかしたら後消しです。

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